13日はバレンタインデー前日ということで、
バレンタイン直前企画 世界が唸る!MADE IN JAPANチョコレート
という企画。
とはいえ、バレンタインデーというよりは、
日本のチョコレートのお話で興味深かったです。
講師は3度目のご登場、食文化研究家の藤原浩さんでした。
バレンタインデーとその前には
普段見かけないたくさんのチョコレートを目にします。
国内だけでなく、海外ブランドも、
そして、世界中からショコラティエが来日しています。
そのため、海外では、
2月はチョコレート職人がいなくなる
とまで言われているんだとか。
一方、そのような一流職人の手によるものでなくとも、
スーパーマーケットなどに行けば、
数え切れないぐらいのチョコレートを買うことが出来ます。
毎週のように新商品が売り出されるのも当然で、
日本のチョコレートは4000億円超という巨大市場なのです。
デパートの高級チョコレートから、
何十年も長く安価で売られている定番チョコレートまで、
これほどたくさんのチョコレート作られているのは、
日本以外にはありません。
紀元前1100年頃、中南米に
チョコレートの歴史は始まるとされています。
この頃のチョコレートは固形ではなく液体。
すりつぶしたカカオ豆とスパイスを混ぜた
苦い薬
でした。
高い栄養価で疲労回復、精力増強などのための
最強の栄養ドリンク。
しかし、高級品であったために、
それを口に出来る人は限られていました。
16世紀、カカオ豆がヨーロッパへ持ち込まれます。
そのきっかけとなったのがコロンブスで、
ヨーロッパでチョコレートは砂糖と出会います。
そして、1847年、固形のチョコレートが誕生。
それは今から約170年前、
3000年余りのチョコレートの歴史の中では、
ほんの最近のことといえそうです。
日本で初めてチョコレートが製造されたのは、
1878年、東京の凮月堂によるもの。
もちろん、チョコレート後進国としてのスタートでしたが、
現在では、その最先端を走るに至っています。
毎年10月にパリで開催される最大規模のチョコレートの祭典、
「サロン・ドゥ・ショコラ」では、
数々の栄誉ある賞を日本人が受賞し続けているほどです。
明治10年、凮月堂がチョコレートを売り始めた時の広告には、
「貯古齢糖」と表記されていますね。
ただ、この時のチョコレートは、
現在の一般人が行うような、
海外から輸入したビターチョコレートを溶かして
加工して販売していました。
したがって、それは贅沢品であり、
庶民には縁遠いものだったようです。
そして、大正10年、カカオ豆から一貫生産された
国産チョコレートが誕生。
生みの親は森永製菓。
森永「ミルクチョコレート」です。
1枚15銭、従来の半額の価格となり、
庶民の口にも入るようになり、
その後、明治15年には明治製菓も
カカオ豆から一貫生産された
明治「ミルクチョコレート」を発売。
これらの歴史ある商品は
現在でも販売し続けられています。
こういった170年前からある板チョコがほとんどだった
日本のチョコレートに変革を起こしたのが昭和30年、
森永のフィンガーチョコレートです。
ビスケットをチョコレートでくるんだ
現在多数販売されているチョコ菓子の走りとなりました。
これがチョコレートの可能性を大きく広げ、
昭和33年にはグリコ「アーモンドチョコレート」が発売、
33年、森永「エンゼルパイ」発売、
37年、不二家「ルック・アラモード」が発売されています。
これらの中でも、グリコの「アーモンドチョコレート」は大ヒット。
森永と明治の2大メーカーの間に割って入ったグリコは、
追いつけ追い越せと、日々の商品開発会議で
次なる商品を生み出そうとし続けていました。
そんな会議である日、一人の男が
当時発売したばかりの「バタープリッツ」を手にして言いました。
これにチョコをつけたら美味しいんじゃないですか?
実際に作ってみることにします。
最初はこのようにプリッツ全体にチョコを塗り、
フィンガーチョコレートのように銀紙でくるもうとしていました。
しかし、これに疑問を感じた一人の開発者。
そもそもプリッツ全体にチョコをかける必要があるのか?
この時、一方の端にはチョコレートを塗らなければ
手に持ちやすいことに気付きます。
銀紙も不要です。こうして生まれたのが
「チョコテック」でした。
テクテク歩きながら食べられるチョコスナックということで、
このネーミングになったんだとか。
しかし、この名前は既に商標登録がされていて使えず、
別の名前にしなければならないものの、
どうすればいいかと考えていた会議で
一人の男が"それ"を口に運び"それ"を折りました。
その音から
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この「ポッキー」という名前になったそうです。
昭和43年に全国発売されたポッキーは大ヒット、
さらに同年、グリコはチョコレートをマイナス30℃で冷却し、
独特の食感に仕上げた「カプリコチョコレート」を発売。
昭和49年、ロッテは「クランキー」を発売、
製造技術の向上により、
チョコレート戦国時代となったのでした。
明治「きのこの山」が発売されたのは昭和50年のこと。
今でこそ、日本語のネーミングは珍しくありませんが、
当時はカタカナ語が主流で、
この命名は画期的だったようです。
明治はこれに「たけのこの里」を加え、
森永も「つくんこ」、ロッテも「ふるさと絵日記」を発売、
日本昔話風のネーミングが流行しました。
その火付け役、「きのこの山」には一つの裏話があります。
昭和44年明治は「アポロ」を発売。
しかし、当時人気はあまりなく、
用意された生産ラインもあまり稼働していませんでした。
そこで、止まっているラインを利用して、
別の商品を作ろうとして考えられたのが
「きのこの山」の原型となります。
最終的にこれが商品化されるのは、
その5年後のこと。
何百種類ものチョコレートと
クラッカーを試した上で選ばれた
こだわり組み合わせなんだそうです。
こういった形でも楽しませたチョコレート菓子は、
ロッテ「コアラのマーチ」にも影響を与え、
こちらはキャラクター性も含ませることに成功しています。
昭和63年、神奈川県の洋菓子店、
シルスマリアのオーナーシェフが、
誰も思いつかなかったチョコレートを発明します。
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それが生チョコです。
チョコレートに生クリームや洋酒を練り込んだ
新しいチョコレートは、
今までになかった口溶けを実現、
この製法に大手メーカーも着目、
それは、明治「メルティキッス」などに生かされています。
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それが附加価値ともなっています。
…続きます。