今回も「忠盛スペシャル」という感じで、
中井貴一さんがカッコ良かったですね。
さて、記事タイトルには"真相"としていますが、
真相なんて誰もわかるはずはないので、
ここでは「平家物語」巻一「殿上闇討」などからご紹介します。
備前守だった平忠盛は鳥羽上皇の御祈願寺として、
得長寿院造営の落慶供養に際して、一千一体の観音像を寄進、
その功により但馬国の一部の受領となり、
また、内裏清涼殿への昇殿が許される事となります。
この未曾有の決定に殿上人たちは忠盛を妬みます。
そういった忠盛に対する反感は
伊勢瓶子は酢甕なりけり
こういった言葉となって現れています。
「いせへいじはすがめなりけり」、
これは「伊勢平氏は眇なり」の意味であり、
当時、伊勢の甕は程度が低く、
酢を溜める甕にぐらいにしか用いられないとされ、
眇(すがめ/斜視)だった伊勢平氏の棟梁である忠盛を嘲笑しています。
武士の地位が自分たちに近づいてきていることに、
当時の貴族は恐れを感じていたのでしょう。
そんな彼らは新嘗祭(宮中祭祀、収穫祭)の五節豊明(新嘗祭の後の宴)にて、
忠盛を暗殺しようと企てました。
忠盛はその噂を聞きつけます。
御所に上がった忠盛の腰からは刀の鞘が垂れ下がっていました。
あえて、その中に短刀が収められていることを知らせるように。
彼はその短い刀を抜き、灯りのほうへと向け、
切れ味を確かめるが如く、自分のもみあげのあたりに当てています。
周囲の人はそれが切れ味の鋭い刃で威圧しているように見えたそうです。
これにより、この襲撃計画は中止となりました。
しかし、収まらない貴族たちは、宴席で得意の舞を舞う忠盛を
伊勢瓶子は酢甕なりけり
と崇徳天皇の御前で嘲ります。
これに怒ったのか彼は刀を女官に預けて退出してしまいました。
(慌てず騒がず、静かに舞を続けたとも)
劇中描かれたように、殿上での帯刀は禁じられていました。
刃の輝きに暗殺出来なかった貴族たちは、
鳥羽上皇に忠盛が刀を帯びて昇殿していたと報告、
忠盛の罷免を求めました。
事実を確かめるために忠盛が女官に預けていた刀を取り寄せてみると、
その刀の正体は木太刀、
銀箔を貼り付けただけの木太刀だったのでした。
鳥羽院は忠盛を咎めるどころか、
彼の機転を褒め称えたとされています。
このような話が事実なのかはわかりませんが、
当時の貴族たちにとって、
取るに足らない存在だったはずの武士により
武力のみならず財力でも自分たちの地位が脅かされている事に対し、
強い恐怖を持っていたのは確かであろうかと思います。
なお、この忠盛が清盛に木太刀を見せるシーンで、
新入りの殿上人に嫌がらせは付きものと
家貞が用意してくれたのじゃ。
わしは良き家人を持ったものよ。
と言っています。
中村梅雀さんですね。
この平家貞について「平家物語」「殿上闇討」では、
忠盛を守るように側を離れず、
その勇ましい姿にも貴族たちは恐れをなしたとしています。
彼は清盛の代になってからも活躍することになります。
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