子供の頃、英賀城跡に行っているらしいんですが、
全く憶えていません。
その南の英賀神社にも行っていたのでしょうか。
いわゆる英賀合戦は1576年、
あるいは、1577年のこと。
元々、毛利と織田は同盟関係にありましたが、
織田が敵対する石山本願寺に毛利が支援するなどし、
関係が悪化。
播磨国の各領主はどちらに着くかの決断が迫られました。
英賀の地は、一向宗の一大拠点で、
実質、英賀の一向宗門徒による自治地区となっていました。
石山本願寺を支援する彼らが、比叡山延暦寺を襲撃し
仏敵となった織田信長と敵対するのは当然で、
劇中のように、小寺・黒田陣営から寝返った人も
いたのかもしれませんね。
この英賀合戦はいくつかの解釈が可能であろうかと思います。
一つは織田軍によって孤立している石山本願寺への支援物資輸送。
これに、英賀の一向宗が関わっていたんですね。
これを織田に味方する小寺家配下の官兵衛の軍が攻撃したというもの。
もう一つは織田信長についた小寺家を叩くため。
ドラマとしては、後者が主な描写となりました。
この戦の記述は「黒田家譜」にあるようで、
毛利軍は海上から5000、対する黒田軍は500でした。
小寺軍ということでは、その何倍かの兵がいたようですが、
青山・土器山の戦いと同じく、
その多くを小寺政職は御着城などに配備、
官兵衛が使える兵の数は限られていました。
多勢に無勢であるはずのこの戦で、
彼は奇策に勝機を求めます。
まず、農民を集めて幟旗を多数用意、
毛利軍はその数において、油断しているであろうと踏み、
奇襲を開始、それに毛利軍が驚いたところで、
農民に鬨の声を上げさせ、幟を上げさせました。
毛利の兵は幟の後ろにありもしない大軍に恐れをなし、
退却してしまったのでした。
この英賀合戦について、
織田信長は荒木村重に向けた書状の中で、
官兵衛の活躍を讃えているようです。
圧切を受けた時にも讃えられていることになっていますが、
本当に官兵衛が圧切を信長から受け取ったのかは不明で、
よって、信長が官兵衛の才能を認め始めたのは
この時からなのかもしれませんね。
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