…といいましても、出来ることは少ないですねえ。
これに慣れる日が来るのでしょうか?
ここに至るまでの新マイページを見つつ、
スタッフブログのコメントを確認していたんですが、
9割以上が苦情でしたね。
そこの苦情は、
・見づらい
・目的のリンクがどこにあるのか分かりづらい
・アメブロ以外のお気に入りが消えた
・チェックリストが縦に長すぎる
・チェックリストのリンクがアクセスしても色が変わらない
などなど。
現在も(といってもある時間から先のものはなぜか表示されていません)
ほとんど同じようなコメントが殺到している模様です。
意見を聞くというポーズを見せたかったのか、
マイページに関する座談会なんかを開くとかで、
参加者募集がありましたけれど、
実施されたのでしょうか?
少なくとも、利用者の意見が目に見える形で
この新しいシステムに反映されることはなかったのでしょう。
座談会とやらも、移行期間の殺到していた苦情も。
まあ、ほとんどの人が利益を受けないのですから、
改悪と言い切れます。
何も便利になりはせず、
不便を強いられる訳ですから。
「見づらい」「チェックリストが縦に長い」というのは
もうどうしようもないんですけれど、
(オリジナルのマイページを自作する以外は)
「アメブロ以外のお気に入り」は、
もう外部にRSSリーダーを用意した方がいいと思います。
窓の杜 - RSSリーダー
http://www.forest.impress.co.jp/lib/inet/websupt/rssreader/
Vector Soft - RSSリーダー
http://search.vector.co.jp/vsearch/vsearch.php?key=rss%A5%EA%A1%BC%A5%C0%A1%BC&kanji=euc
RSSリーダー、チェッカーはたくさん公開されていますので、
いろいろと使用してみて下さい。
Amebaの機能としては、
マイページ上部の
「サービス一覧」→「アメブロ以外のお気に入り」
で移動できます。
マイページ上で一目瞭然とはいかなくなりました。
つまりは、外部サイトへの導線に手間をかけさせたかったのでしょう。
私はSleipnirを使い続けていますので、
その標準装備のRSSリーダーを使用することにしました。
たぶん、IEやFirefoxでも同様のことは出来ると思います。
あとはWindowsVista以降ならデスクトップガジェットで探すとか。
RSSリーダーを探していて、
結局、Sleipnirに元から付いているものを
使用することにしたんですけれど、
選ぶにおいては、
目的のページをRSSリーダーの中で見たいか、
既定のブラウザで見たいか
という部分がとても気になりました。
あと、RSSリーダーでも、
Googleリーダー
http://www.google.co.jp/reader/
というWebサービスもあります。
GmailなどのGoogle無料のアカウントがあれば使用可能です。
私が今回の改悪で特に不便に感じたのは、
このRSSの問題と、
訪問済みのリンクの文字の色が変わらないことですね。
これもどうしようもありませんよね。
Ameba側の問題なので。
あとは…、意外とわかりにくいのがチェックリストのカスタマイズ。
これ、デフォルトでは各ページの画像が表示されるんですが、
ただでさえ、縦に長いのに、
さらに見づらくする必要はありませんので、
消したいと思われるかたは多いと思います。
チェックリスト右上のこの部分をクリックしますと、
・画像表示モード
・シンプルモード
が選べるようになり、
シンプルを選びますと、画像が表示されなくなります。
今のところ、こんなところですかねえ。
ああ、そういえば、私がここを変更した後、
PCの掃除をしまして、
必要なもの以外のCookieも削除したんですが、
また元に戻ってしまいました。
どうやら、マイページはマイページのCookieがある模様です。
mypage.ameba.jp
これがそれではないかと思います。
あとは、
クイックリンク
が右上に移動しました。
ここからなら、以前どおり、Amebaの多くの目的を果たせますので、
ここを使用されることをおすすめします。
そういえば、トラックバック、
なくなったんですねえ…
これは、ユーザーが逃げますよ。
Amebaマイページ改悪対策 …といっても出来ることを少しだけ
すイエんサー「目指せ!勝率8割!!究極のじゃんけん必勝法を見つけた~い!」
番組としましては、
メッチャじゃんけんに勝ちまくりた~い!
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11247403899.html
の続篇になります。
さらなる勝率アップ、
それも
最初はグー
で始めて、8割勝てるようになろうというのが目標です。
番組に現れたのは、
茨城大学工学部メディア通信工学科の矢内浩文講師。
彼は勝率8割の方法を知っているそうです。
それを実践してもらいます。
しかし、まずはすイエんサーガールたちには、
音を聞こえない状態で、
しかも矢内先生は幕の向こうに隠れてしまっています。
見えるのは先生の前の対戦相手だけ。
しかし、たしかに先生は次から次へと現れる対戦者に、
勝ちまくっていました。
7人と対戦し、6勝1敗、勝率は
8割5分7厘
です。
矢内先生は人が無意識のうちに起こす行動のメカニズムを
研究されているそうです。
ところで、クイズです。
この3つの絵をご覧下さい。
この3つがそれぞれが何の絵であるか、わかりますか?
では、
空を飛ぶものといえば何ですか?
このクイズに正解は多数あります。
しかし、3枚の絵を見せられた後では、
多くの人が
飛行機
などの空の乗り物を答えることとなります。
空を飛ぶもの
だと、鳥のような生物も正解になるはずなのに、
無意識のうちに「乗り物」の中から、
空を飛ぶもの
を探すこととなるのでした。
人の脳は情報を処理する際、
先に与えられた刺激が呼び水となり、
それについ引きずられやすいものなのです。
とは、矢内先生。
じゃんけんの前に、相手に刺激を与えればいい、
引きずられるようにすればいいのではないでしょうか?
ここで思い出すのが、2年前の
すイエんサー「"道でお見合い"しちゃうのって、なんとかならないの~?」
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-10539471298.html
この時の放送。
この時は、向かい合う2人の動きが
次第に同調していく現象が紹介されていました。
だから、すれ違う時に、
同じ方へと避けてしまうことになりがちだという説明でした。
すイガールたちが思いついたのは、
このような方法でした。
最初はグー
の後、
じゃんけん
と言いながら、両手で
チョキ
を相手へ見せる、というもの。
しかし、試してみたところ、
6人と対戦して、勝てたのは2人だけでした。
半分も勝てていません。
これでは駄目なようです。
そこに現れる女性剣道有段者。
すイガール3人は彼女と対戦しなくてはならないようです。
(スポーツチャンバラ用の長剣で)
切っ先を合わせない距離から面へと打ち込んでくる有段者。
もちろん、素人のすイガールは避けられません。
あとの2人も続きますが、結果は同じです。
次に、もう少し距離を詰めてもらいます。
短い距離だということに怯えるすイガールでしたが、
意外にも打ち込みを避けることが出来ました。
どうやら、剣士が一気に間合いを詰めて打ち込んでくるため、
避ける準備が出来ておらず、
逆に遠い方が避けづらいようです。
これをじゃんけんに利用します。
やや遠めの距離でじゃんけんを開始します。
そして、
チョキ
を見せて「グー」で勝負です。
先ほどの女流剣士とじゃんけんで勝負したところ、
この方法で勝つことが出来ました。
しかし、矢内先生はアピールが足りないと仰います。
もっと見せつけろということでしょうか?
じゃんけんをする時、
相手はどこを見ているでしょうか?
自分の手か、その少し先を見ているはずです。
だったら、その視界に無理矢理両手の
チョキ
を見せてやるというのはどうでしょうか?
いつもより少し離れた位置から、
最初はグー
で始め、
じゃんけん
と言いながら、かがむぐらいの勢いで低い位置から相手に両手の
チョキ
を一瞬見せます。
そして、出すのは
グー
という戦法です。
街で実験です。
すイガールたちの街での対戦成績は
49勝14敗
勝率にして
7割8分
となりました。
惜しくも目標の8割には届きませんでしたが、
かなりの高確率であろうかと思います。
「じゃんけん!」と言いながら「チョキ」を見せる際、
相手に急接近することで、相手には一瞬、「え?」「何?」
といった戸惑いが生じ、
脳の中では複雑な判断が下しにくくなります。
そのため、よりいっそう目の前に出された「チョキ」に
つられやすくなるのです。
矢内先生の解説でした。
なお、番組調べでは、見せるのを「チョキ」ではなく「パー」にして、
そして相手に「パー」を出させ、
「チョキ」で勝つという方法も有効だそうです。
真田幸村の子供たちは伊達政宗、片倉重長が匿っていた ~仙台真田家の始まり~
今週の「今夜はヒストリー」では、
真田幸村が扱われましたが、
彼の子供たちについても紹介されていました。
幸村の子供たちは伊達政宗のところにいたんですね。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
真田信繁(幸村)は豊臣方の敗戦を悟るや、
今はこれで戦は終わり也。
あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただ一つのみ
と呟くや、徳川家康本陣へと突撃。
家康に二度も自害を覚悟させるほど追い詰めますが、
衆寡敵せず、この戦が幸村の最期となってしまいます。
この日が5月7日。
お話はその前夜のことになります。
徳川勢として参陣していた伊達政宗家臣、
片倉小十郎重綱(二代目小十郎、後の重長)の元に
一人の少女が送り届けられています。
名は阿梅。幸村の三女です。
そして、幸村、討ち死に。
伊達政宗の軍はひとまず京に留まりますが、
この京では、幸村の三人の家臣が重綱を訪れています。
彼らが連れていたのが、幸村の二人(三人とも)の娘と、
一人の男の子、大八でした。
我が子たちを片倉重綱に托す、
それが幸村の遺志であったようです。
伊達軍が京を離れる時に、
重綱はこの5人を仙台まで連れていくことにしています。
徳川方に知られれば自身の命はなく、
主君・伊達政宗にも累を及ぼすかもしれません。
殊に男子である大八は
徳川に仇なす者として、殺さなければなりません。
このような大事を主に無断で判断出来るはずはなく、
当然、伊達政宗自身の考えがあったのでありましょう。
重綱は大八を客分として片倉家の白石城の外に住まわせます。
一方、4人の娘たちは片倉家の白石城で暮らし、
そのうち、阿梅は後に重綱の継室となっています。
そんな時、真田幸村の子が奥州で生きているのではないか、
という噂が流れます。
長男の幸昌は父の死を知り、切腹していることがわかっています。
しかし、大八の行方がわからないというのです。
片倉家にも疑いがかかりました。
これを収めるべく、真田家菩提寺の高野山蓮華定院に
虚報を流します。
大八君八歳の時京都にて印地打ち観覧中石に当たり他界
大八は石投げ合戦を見ている時に、
誤って石に当たり、既に死んでいるというものです。
大八はその名を片倉久米介として、
密かに暮らし続けることとなりました。
元服後は片倉四郎兵衛守信、
やがて真田姓を名乗ることにします。
しかし、真田と聞いてまた疑うのは当然で、
また幕府の調査が行われましたが、
この時は、真田は真田でも
家康の古くからの家臣である真田信尹の次男・政信の子であると、
架空の人物「政信」を創作し、言い抜けつつ、
また片倉姓に戻しています。
この後、守信の孫の代になって、
正式に真田姓に戻すことが出来たようです。
ここに、仙台真田家が興ることとなりました。
こんな話があったんですねえ。
それにしても、なぜ片倉重綱は
敵将・真田幸村の子供たちを匿うことにしたのでしょうか?
そもそも、幸村はなぜ、敵将・重綱の元へ
子供たちを送り届けたのでしょうか?
事前に手紙のやりとりでもあったのでしょうか。
もちろん、主・伊達政宗の考えもあったはずで、
お家にとっては害となるかもしれず、
利となることはありそうにない子供たちです。
徳川にとっては、男子であれば3歳の子でも殺さねばなりません。
それを匿った訳です。
その危険を冒した理由が知りたいですね。
武家の者の心得として、
駆込み者があった時には、
第一に保護しなければならないというものがあったとも聞きますが、
これもそういう事でしょうか?
ご存じの方がいらっしゃいましたら、
ぜひお教え下さい。
太陽観測衛星「ひので」にて、日食を観測。サイトにて公開と発表
時間がないので少しだけ
日本時間21日月曜日朝には日本~米国西部で金環日食が観測できます。
太陽観測衛星「ひので」は午前6時34分のタイミングで、
インドネシア上空にあり、部分日食に遭遇します。
この時、ひのでのX線望遠鏡で太陽を連続撮影し、
それを同日午後、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のサイトにて
公開の予定だそうです。
X線望遠鏡は高温の太陽コロナを観測するためのものであり、
今回の観測では、コロナを背景に黒い月が通過する姿が見られるはずです。
JAXAのそのサイトはこちら。
詳しい解説もご覧になれます。
2012年5月21日金環日食 ~「ひので」衛星から見た日食を即時公開~
http://www.isas.jaxa.jp/home/solar/eclipse20120521
部分日食ですが、
このような映像はなかなか見られるものではありませんので、
ぜひ、ご覧下さい。特にお子さんにはお勧めできます。
天気の心配も不要ですので。
なお、人工衛星「ひので」については、国立天文台の
国立天文台 ひので ホームページ(ひので科学プロジェクト)
http://hinode.nao.ac.jp
こちらでご覧下さい。
大河ドラマ 平清盛 第十九話「鳥羽院の遺言」 その背景 ~崇徳上皇が「長者窮子」を破り捨てた訳~
先週の放送でのお話。
病を得た鳥羽法皇は、崇徳上皇と親子の関係を築きたいと願います。
彼が写しているのが、
法華七喩(ほっけしちゆ)
の中の
長者窮子(ちょうじゃぐうじ)
でした。
鳥羽法皇はこの譬え話の中の親子の姿に、
崇徳上皇と自分の姿を重ねていたのでしょうか。
そして、それは平清盛の手に托され、
崇徳上皇へと届けられますが、
彼はそれが
法華七喩・長者窮子
であることから破り捨ててしまうのでした。
劇中、清盛がこの「長者窮子」についての説明台詞がありますけれど、
あれでは上皇が破り捨てた理由が判りづらいので、
ここで記事にしたいと思います。
法華経は釈尊の教えの中でも大乗仏教の幹をなすとされている経典です。
(とはいえ、釈尊入滅後、500年後ぐらいの成立らしい)
この中に「法華七喩」、
あるいは「法華七譬(ひ)」という譬え話が7つ収められています。
その中の一つが
長者窮子
だということになります。
だいたいこのようなお話です。
ある男がさまよっていました。
行くあてもなく、留まる場所もありません。
彼は幼い頃に、家出をしていたのです。
それからもう50年もの間、
貧しく、見窄らしい姿で様々な国をさまよい歩き続けていました。
そんな我が子を捜し求め方々を尋ねて廻っていた彼の父親、
しかし、長い年月の捜索に疲れ、
ある町に定住し、そこで財を成し長者となります。
ある時、男がいつものように糧を得るためにふらついていると、
見知らぬ町に辿り着きました。
そこが父親が住む町だったのです。
息子は大きな屋敷を見つけました。
ここなら、何か食べられるものが手に入るかもしれない、
彼はそう考えました。
屋敷の中を覗き込みます。
すると、ここの主らしい男性の姿が見えました。
恰幅が良く、立派な身なりの男性でした。
最初は何か食料が手に入るかもしれない、
お金を恵んでくれるかもしれないと考えましたが、
あまりの場違いに、彼はここを去ることにしました。
悪くすれば、自分はここで奴隷にされてしまうかもしれない、
もう少し、自分に見合う場所のほうがいい、と。
その立ち去る彼の姿を認めた父親は、
ひと目で彼が自分が捜していた息子だとわかりました。
父親は使いの者を遣ることにしました。
しかし、突然使いの者に声をかけられた男は、
捕まえられると思ったのか、驚きのあまり、
気を失ってしまったのでした。
使いの者が気絶している彼を連れて帰ってきました。
部屋に入れて寝かせますが、
父親はそんな彼に落胆し、また憐れに思い、
使用人に彼が目を醒ましたら自由の身にしてやれと命じて、
自室に戻ってしまいました。
男は捕まえられずに済んだことに安心し、
屋敷を出て行きます。
しかしながら、やはり息子のことを諦められない長者は、
一計を案じ、ただ屋敷に連れてくるのではなく、
いい仕事がある。他よりも破格の賃金で雇いたいから、
うちに来ないか
と誘わせることにしました。
これに飛びつく男。
こうして、息子は父親の元で働き、暮らすこととなりました。
しかし、これでは息子とは、主と下働きの関係でしかありません。
そこで、父親自身も下働きの姿となり、
同じ職場で働く同僚として関係を築いていくことにしました。
父親は息子に今までどうしていたのかと聞きます。
それではいけない、しっかりと定職に就き定住しなければならないと、
あくまで年長の同僚として諭します。
その説諭に効果があったのか、
息子はそのまま父親の屋敷で働き続けています。
そして、様々な仕事を任せられるようになり、
ついには全財産が収められている蔵の管理を預かるまでになります。
息子を使用人として雇ってから20年。
老いた父親は己の死期を悟ります。
父親は縁者を集めました。
そして、息子も呼びました。
そこで宣言したのです。
この男は私の息子です。
私の全ての財産をこの子に遺します。
男はこの20年間の事の意味を悟ります。
長年離れていた父親と再会したとしても、
心の内では素直に父親だとは思えないだろう。
だから、父親は自分のために長い時間をかけてくれたのだと。
そして、全財産を与えてくれようとしている。
息子は涙を流して父に感謝するのでした。
…というお話。
法華経としては、
「長者=仏」で「窮子=衆生」だということになります。
すなわち、私たちは全て仏の子であり、
仏の導きにより、成仏できるというような譬え話です。
劇中、鳥羽法皇がこの長者窮子を写し、
ずっと距離を置いていた崇徳上皇に受け取らせようとしたのは、
この父親の気持ちに自分の心を投影していたからであり、
また、崇徳上皇がそれを破いたのは、
自分を遠ざけていたのは誰あろう鳥羽法皇自身であり、
近衛天皇崩御後、跡には自分の長男・重仁親王を就かせるか、
自分が再び皇位に就くのかと期待していたのを裏切ったのも
鳥羽法皇自身です。
そして、事態は取り返しのつかない情況にまで至っているんですね。
そもそもは彼が
叔父子
と疎まれなければならない原因を作った「彼」に責任があるのですが…
それについては
大河ドラマ 平清盛 第二話 その背景 白河法皇の生涯 その2
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11139692123.html
をご覧下さい。
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金環日食まで数時間ですが…、天候が怪しいですねえ。曇り空でも直接太陽を見てはいけませんよ。
数日前ぐらいから、
日食眼鏡は軒並み売り切れになってますね。
駆け込み需要が大きかったのでしょう。
それほど注目されている今回の天体ショーですが、
天気の方が今ひとつみたいですね。
夜明けはまだ遠いものの、
星はあまり見えず、曇天の夜空であります。
雨、なんて予報の地域もあり、
天候面ではよくない情況のようです。
天候が良くないということで、
曇り空の向こうの太陽を見上げる人も出てきそうな気がしますが、
曇っていても、太陽を直接見るようなことは避けて下さい。
それでも、太陽光は充分に危険ですので。
また、曇り空でも雲の厚さ次第で、
日食の観測は可能ですので、諦めずに日食グラスを目に当てて、
空を見上げて見て下さい。
高校時代、私は地学部でしたけれど、
部員は交代での日々の作業が2つありました。
一つはNHKラジオ第1の気象情報からの天気図作成で、
もう一つが屋上での太陽黒点観測でした。
天体望遠鏡で太陽を捉え、
望遠鏡を通った光を黒点スケッチ用紙に映し、
周囲より暗い部分を黒く写し取っていきます。
これを毎日行って、これが天気図とともに、
地学部代々の記録だった訳です。
もうこの高校も統合で閉校してしまいましたけれど、
もしも、このタイミングで自分が地学部員だったら、
学校に泊まり込む勢いで準備していたんでしょうねえ。
私はたまたま科学系の部活が地学部しかなかったので、
入部したに過ぎませんが、
日食に人生を賭けているなんて人もいて、
そういう人たちのためにも、
晴れてくれればと思うんですけれど、
こればかりは如何ともしがたいですね。
結局、雲の上からの航空機による観測を、
テレビやPCで見ることになるのでしょうか?
こんなふうに、
人工衛星での観測もありますけれど。
太陽観測衛星「ひので」にて、日食を観測。サイトにて公開と発表
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11254394272.html
金環日食生中継中! ~YouTube~ 国立天文台とTBS
大阪の空は晴れ間の面積のほうが多くなってきました。
ネット中継もあります。
国立天文台チャンネル
http://www.youtube.com/user/NAOJchannel
TBS金環日食ライブ中継(2012年5月21日)
http://www.youtube.com/user/TBSsolareclipse
TBSのチャンネルのほうがおすすめです。
金環日食の動画をいくつか。美しい木漏れ日も/日食観測後、目に異常を感じたら眼科受診を
なんていうのか、本当に、月が太陽の前にあるんだ、という感じがするね、月くん、君はそこにいたのか、という感覚があるねえ。いや、これは凄い!
http://twitter.com/#!/kenichiromogi/status/204323231992254466
理学博士の茂木健一郎先生のTweetです。
時刻からして太陽がかけ始めた頃のものでしょうか。
これだけ日本の広い範囲で金環日食が見られるのは、
1080年、平安時代末期以来なんですね。
平清盛の死がその翌年であることを考えると、
21日の金環食は貴重な機会となりました。
…と、いいつつも、私は部分食は見られたんですが、
ちょうど、金環になる1分前ぐらいから、
雲に隠されて金環食は見られませんでした。
まあ、全く見られない可能性もあった訳で、
それよりはよかったと思います。
文字通り、世紀のイベントとなったこの金環日食の動画を、
いくつか貼り付けてみたいと思います。
まずはANNが公開しているものから。
和歌山県の串本町のもののようです。
薄雲が見られますが、大きく美しい金環食が映し出されています。
次は京都市内での撮影。
10秒間隔を12コマ/秒で早送りしてあり、
大きさはありませんが、
太陽の見かけの動きがよくわかります。
これは木漏れ日。
太陽光が円状(円弧状)になると、木漏れ日もその形になります。
ピンホールカメラと同じですね。
これらの光が、人間のデザインではないという点に、
あらためて驚かされます。
朝、日食の時間帯では、結構裸眼で空を見上げている人を見かけました。
これが平均的な風景だとしますと、
今日明日、明後日には目の異常を感じる人が出てくるのかもしれません。
日食網膜症
なんていう症状があります。
まさしく日食に引き起こされやすいということなのでしょう。
でも、普段でも起こりうるはずなのに、
どうしてこの名前なんだろうかと考えるんですが、
正確なところは、私にはわかりません。
思いついたのは、
・普段はそんなに太陽なんて見ない。見ていられない。
それが光量が減る日食では、
比較的長い時間太陽を見ているので、
特に日食に起きやすい。
・普段、太陽を見上げることはあり得ても、
凝視する、観察するという意識で見るようなことはなく、
瞳孔の開き具合から、網膜が損傷しやすい
とか。
どうなんでしょうか?
光量が減るとはいえ、今回は皆既日食ではないんですけれど。
昔から私が聞いていたのは、
太陽を直接見ていいのは、
皆既日食の時だけ
というものでした。
それも太陽が月に完全に覆い隠されている時だけは、
自分の目だけで見られる、と。
あらためて調べてみました。
太陽光には可視光線と非可視光線が含まれています。
非可視光線には赤外線と紫外線などがあり、
紫外線は網膜には届かないとされていますが、
角膜に傷を付けることがあります。
また赤外線は水晶体、硝子体、網膜にダメージを与え、
最悪、失明の可能性もあります。
昔、よく色の濃い下敷きやサングラスでも、
というような話が聞かれましたが、
こういうものは赤外線を遮りません。
よって、目には危険だという訳です。
比較的近年言われるのがブルーライト。
網膜に影響を与えるのは、これと赤外線だと考えられています。
どちらも網膜を熱傷のような状態にすることがあります。
目のそういった組織には、熱や痛みは感じないんですね。
だから、気付きづらいという訳です。
まあ、どの程度の時間、確率で網膜に問題が起きるかはわからないんですが、
網膜は目に入ってきた光を投影するスクリーンですから、
もしも、異常があれば眼科の受診をお勧めします。
具体的な症状としては、目の充血、まぶしく感じる、
視野の中心が暗い、像がぼやける、
視力が低下などが見られるそうです。
多くの場合は"日にち薬"で回復するそうです。
実際のところ、眼科医も根治治療の手段を持っている訳ではなく、
経過観察ということになるのでしょう。
脅しのような記事になりましたが、
日食グラスを使用されていても、
装着前に裸眼で太陽の位置を捜されたりした方も、
目の事ですから、気にしておかれたほうがいいかもしれません。
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平清盛 第二十話「前夜の決断」 その背景~保元の乱が起きるまで その1 -天皇家・信西-~
今回はタイトルどおり、保元の乱前夜までの描写でした。
そこで、なぜ保元の乱が起きたのかについて、
あらためてまとめてみたいと思います。
現実にはどうだったのかは不明ですが、
鳥羽法皇が崇徳天皇を
叔父子
と呼んで疎んでいたとすれば、
そもそもは白河法皇にその原因があるのでしょう。
白河法皇の生涯 その1
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11138802543.html
白河法皇の生涯 その2
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11139692123.html
にお書きしていますが、この大河ドラマで採用されているように、
鳥羽上皇は、自分の子であるはずの崇徳天皇を
自分の祖父と中宮・待賢門院璋子の間の子だと考えていることになります。
また、璋子と後から入内した美福門院得子が
不仲であったことも重要になってきます。
璋子を遠ざけ、得子を寵愛する鳥羽上皇、
その鳥羽上皇と得子の間に体仁(なりひと)親王が誕生、
親王が3歳になると、崇徳天皇に譲位を迫ります。
もちろん、「自分たちの子」である体仁親王を
帝位につけるためです。
もちろん、崇徳天皇には譲位しなければならない理由はないんですが、
この時、一つの約束が交わされたとされています。
それが
体仁親王が即位する際には皇太子として
というものでした。
実際に鳥羽上皇は体仁親王を崇徳天皇の皇太子としています。
院政が続いてたこの時代、
実権を手にするために、
崇徳天皇も上皇となれば、
天皇以上の権力を手に入れられると考えたのでしょう。
院政は天皇の父、または祖父が行うものだからです。
こうして、崇徳天皇は譲位と、
体仁親王、即ち近衛天皇の即位に同意したのでした。
しかし、現実は違っていました。
約束では
皇太子
となっているはずの体仁親王が
皇太弟
という扱いになっていたのです。
近衛天皇は崇徳天皇の子としてではなく、
弟として即位したことになります。
これでは崇徳天皇に院政の機会はやってきません。
鳥羽上皇と得子の子が天皇となったのです。
鳥羽上皇と得子に謀られたことに
コハイカニ
と、崇徳天皇は怒り、
二人に対する恨みをさらに強くしたとされます。
しかし、崇徳も諦めたわけではなかったようです。
近衛天皇が17歳で崩御すると、彼に皇太子がいなかったため、
自身の長男・重仁親王の即位を願うようになります。
この重仁親王の系譜を見てみますと、
白河 - 堀河 - 鳥羽 - 崇徳 -
と直系の血筋で結ばれていることがわかります。
順当なら重仁親王だと、
崇徳が考えたのも当然かもしれません。
さもなくば、崇徳自身が復位する可能性も考えていたとか。
ここでも、崇徳は期待を裏切られます。
鳥羽法皇が選んだのは崇徳の弟・雅仁親王でした。
彼が後白河天皇となります。
この決定は、鳥羽法皇と得子による崇徳の排斥という意志の他に、
信西の影響力が関わっているとされています。
藤原通憲は、藤原氏ではあるものの、
藤原氏の中でも支流の家柄で、
政治の中枢に関わることはない身分でした。
当世無双の宏才博覧
と称された博識も、世襲の世には限界があります。
やがて彼は出家し、信西と名乗るようになり、
僧として鳥羽法皇の近臣となりました。
また、雅仁親王の乳母を妻とし、
近衛天皇が崩御した時、雅仁親王を天皇にすべく、
鳥羽法皇に働きかけます。
この時、得子は守仁親王を養子にしていました。
この子は雅仁の第一皇子ですが、出生後の生母急死により、
得子が養育していたのです。
鳥羽法皇と得子は、
この守仁親王に帝位についてもらいたいと考えています。
ここに付け入ったのが信西で、
実父が天皇でないのに、その子が天皇になった例はないと言い切り、
また、実父の雅仁が存命中であるのに、
それをを飛び越えて幼少の親王が即位するのは、と反対しています。
鳥羽法皇と得子は、守仁親王を即位させるべく、
雅仁には即位の後、すぐに譲位するという約束させ、
後白河天皇が誕生させることとしました。
こうして、信西は乳母の夫を天皇にすることが出来ました。
翌年、鳥羽法皇が崩御、
皇位継承問題を原因の一つとして、
保元の乱が起きることとなります。
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ビーバップ!ハイヒール 「辞書ほど面白い本はない!」 その2 ~初の国語辞典「言海」誕生秘話~
その1 ~国語辞典が放つ個性とは~
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11259827645.html
昨夜は、現在発行されている辞書ごとの個性についてお書きしました。
では、我が国初の国語辞典とはどのようなもので、
どのように出来上がったものでしょうか?
「国語辞典」というからには、
「国」の言葉を扱う辞典であり、
ということは、「国」という概念が固定されてから
以降の辞典を指すことになります。
「国」が現在の私たちの概念と同じものになったのは明治。
明治の初め頃、英仏米独などの国々では、
国語辞典作りが盛んに行われていました。
近代国家の仲間入りをするためには、
明治政府は日本語を統一し、
我が国にも国語辞典が必要だと考えました。
明治8年、文部省報告課に勤務していた大槻文彦、28歳。
彼は課長の西村茂樹に呼び出されます。
そして命じられたのが国語辞典の編纂でした。
なぜこの28歳の彼がそんな大役に任じられたのでしょうか?
しかも、彼ただ一人が。
彼は儒学者・大槻磐渓の三男、そして兄は漢学者の大槻如電、
さらに祖父は日本の蘭学の第一人者…
…とナレーションはなっていまして、
蘭学の第一人者、大槻…、もしやと思い調べてみて驚きました。
祖父は大槻玄沢ではありませんか。
前野良沢と杉田玄白の弟子であり、
蘭学の歴史は彼抜きには語れません。
どうやら、岩手県一関市では、玄沢、磐渓、文彦の三代を
「大槻三賢人」と呼んでいるそうですね。
…思わぬ事を知ることが出来て歓喜しておりますが、
ともあれ、大槻家では、それぞれ多様な学問の分野で、
名を成した大学者たちがいたために、
文彦が任じられたようです。
しかし、なぜ一人だったのでしょうか…?
よくわかりませんね。
様々な学問に触れてきた大槻文彦でしたが、
国語学について詳しいわけではありません。
国語辞典の編纂を命じられたものの、
何から手を付けて良いものかわかりません。
そこで、彼は諸外国の国語辞典を開き、
その編集方針を調べてみることにしました。
すると、「雨」「おはよう」「山」など、
日常のありふれた言葉が並んでいることに気付きました。
専門的な学術用語は要らないと知った彼は、
普段使われている言葉の収集に取りかかります。
この時、彼は果てしなく広い言葉の海へと
漕ぎ出したことになります。
道端で誰かが会話しているのを見つけると、
その中で使われた言葉を手帳にメモすることもありました。
田舎の人を見つけては方言についても調べます。
書店に通い、道具屋に通い、言葉を収集。
発音、語源、意味、出典などを加え、
従来のいろは順ではなく、
五十音順に分類していきます。
先の見えない作業、
自分はこの仕事を完了できるかどうか不安な時、
彼の妻・いよはいつも夫を励まします。
10年の月日が流れました。
やるべきことはやった、
大槻文彦は完成した10年ぶんの成果を提出することにしました。
言葉の海、
言海
その稿本を文部省に提出し、
あとは出版されるのを待つだけとなりました。
達成感に満たされた彼は、家族たちとその日を待ちます。
しかし…、待てど暮らせど出版される気配はありません。
気がつけば、提出から3年も過ぎていました。
文部省に確認しますと、
政府が発行する予定であったが、
予算が獲得できず、出版は出来ない
という返事。
そして、
もしも、大槻君が自費で出版するというのであれば、
稿本は返却する
と…
10年の苦労を無駄には出来ない、
彼は自費出版を決意します。
あらためて稿本を見直しますと、
手を加えたい部分が目につきました。
もう一度、辞書作りの情熱を取り戻し、
手直しに取りかかります。
そんな時…
彼の愛嬢・えみが風邪をこじらせ、
結核性脳膜炎を患い入院してしまいます。
妻・いよは、
娘には私が付き添って看病しますから、
あなたは辞書の事だけ考えて下さい
と。
彼は改訂作業に没頭していきます。
しかし…
二人の娘が家に戻ってくることはありませんでした。
さらにその1ヶ月後…
妻も他界…
それでも、彼は辞書作りを止めることは出来ませんでした。
そんな彼が終盤の「ろ」の部分に取りかかっていると、
ある言葉が目に留まります。
露命 -ロメイ-
ツユノイノチ、ハカナキ命
…原稿用紙に涙が落ちました。
1891年、「言海」出版。
完成まで17年、
収録総語数39,103語の四分冊。
彼は言葉の海を渡りきったのでした。
なお、この言海は現在復刻された形で、
手にすることが出来ます。
この言海では、巻末にこの辞書が編まれた理由、
その苦難などが書かれているそうです。
この言海が生まれて、その後の国語辞典は、
この言海の上に成り立つこととなりました。
なお、出版後について調べてみますと、
出版パーティーには伊藤博文、山田顕義、大木喬任、榎本武揚、
谷干城、勝海舟、土方久元、加藤弘之、津田真道、陸羯南、矢野龍渓…、
と、とんでもないメンバーが出席していますね。
そして、晩年には言海の改訂に着手しています。
しかし、その作業半ばで死去、
兄の如電らがそれを引き継ぎ、
如電死去の後の1937年(昭和12年)、
約98,000語が収録された言海の増補版というべき
大言海
が出版されています。
平清盛 第二十話「前夜の決断」 その背景~保元の乱 源氏と平家 それぞれの決断~
保元の乱が起きるまでの経緯について、
天皇家・信西
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11258092396.html
藤原摂関家
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11258957129.html
の問題を考えてみました。
では、争いが起きようとしている時に、
源氏のそれぞれ、そして平家のそれぞれがどのようにして、
自らの立場を決していったのでしょうか?
単純にいえば、後鳥羽天皇に味方するのか、
崇徳上皇に味方するのか、それを明らかにせねばなりません。
そして、それを誤れば、
身の破滅、さらには一族の命運にまで関わってくる大問題です。
まずは源氏から考えます。
源為義。
白河院の信頼を失っていた男です。
源氏の棟梁ではありますが、
重く用いられることはありませんでした。
そのあたりは、
源氏の凋落、為義はなぜ重用されない? その1
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11144426053.html
源氏の凋落、為義はなぜ重用されない? その2
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11258957129.html
にお書きしていますが、彼以前からの源氏の凋落や、
自身の郎等(主とは非血縁者の従者)や八男・為朝の乱行等々により、
白河院に用いられないということで、
彼と彼の息子たちが頼っていたのが、
藤原忠実と頼長でした。
忠実と頼長も、行き場を失っていて、
崇徳上皇についていたことから、
為義がこちらの戦力となるのは必然でした。
しかし違っていたのが長男の義朝で、
彼は自力で鳥羽院の信頼を得て、
下野守にまでになっています。
父・為義が受領に就けるはずはありませんでしたので、
官位も含めまして、
義朝は父親の遥か上を走っていたことになります。
義朝のこの力は、東国で蓄えられたとされています。
なぜ彼が東国に赴いたかについては、
諸説あるようで、一つは平家に対抗するため、
関東武士を再編するためというもので、
もう一つは、彼が廃嫡されたためというもの。
廃嫡というのは、簡単にいえば、
跡継ぎではなくなることで、
この場合では、父・為義は次男の義賢を跡継ぎとしていると。
義朝を産んだ母の父は白河院の近臣だったようで、
藤原忠実にすり寄っている父・為義にしてみれば、
白河院に疎まれた忠実の手前、
廃嫡に至ったのではないかという話です。
父と息子の立場が大きく違っていたことが、
保元の乱における身の置き場所の違いとなる訳ですが、
この親子の不仲が表立って顕れたのが、
為朝の長男・義平による義賢襲撃でした。
為義に命じられ東国へ赴き、
勢力を伸ばしていた弟の義賢を
義朝は長男・義平に義賢を襲わせ殺させています。
こうして、為義と義朝の溝は深まっていきました。
平家、その棟梁・平清盛。
鳥羽法皇がいよいよ危ないという頃、
襲撃を警戒し、多くの武士が警護のために招集されています。
しかし、その中に清盛たちは含まれていませんでした。
鳥羽法皇(の近臣、後白河天皇側)は、
清盛が味方であるかどうかについて、
確信が持てなかったのかもしれません。
後白河もまだこの時点では、
清盛と深い繋がりを持ってはいませんし。
清盛にとっての継母・池禅尼は、
崇徳の皇子重仁親王の乳母でした。
崇徳が近衛天皇崩御の時に天皇にしたかった親王です。
父・忠盛はこの重仁親王の乳父に当たることになります。
ということは、清盛と親王は乳兄弟です。
形式上のことではあるんですが、
こういったことから、
清盛を後白河側は味方だと断じきれなかったのでしょう。
さらには藤原忠実が支配していた淡路国の国守に任じられていたのが、
清盛の弟・教盛で、こういった多方面とのしがらみは、
清盛の祖父・正盛、父・忠盛が、
一門を天皇家や宮廷貴族たちに
食い込ませてきたということなんですけれど、
ここではそれが一門の分裂を招きかねない危機ともなっています。
決断を誤れば、一門は両軍に分かれて戦うことになります。
平清盛はその決断を下さねばなりません。
その決断の助けとなったのが継母の池禅尼だとされています。
平家で一番の勢力を誇るのは、
もちろん、棟梁の清盛ですが、
その次は五男の頼盛という勢力図になっていました。
その頼盛の生母である池禅尼は、
コノ事ハ一定新院ノ御方ハマケナンズ。
勝ツベキヤウモナキ次第ナリ
と、これから起こる戦の成り行きを予想、
崇徳天皇の側が負けると考え、
頼盛に対し、
ヒシト兄ノ清盛ニツキテアレ
と命じています。
こうして、頼盛は清盛とともに戦うことになり、
それは平家が後鳥羽天皇の側として参じることを意味していました。
問題は平忠正です。
平家には源氏のような大きな分裂は起きませんでしたが、
忠正だけは崇徳院側で、
清盛の敵となっています。
なぜ、天皇側でないのか、手元の資料には
かねてより清盛とは不仲であり
というような事しか書かれていません。
劇中、不仲という描写もありつつも、
関ヶ原の時の真田家の信幸・幸村兄弟の如く、
どちらが勝っても平家は残るという意味を持たせて、
崇徳院へと走らせていましたが、
実際はどうだったのでしょうか?
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次長課長・河本準一さんの騒動に対する数々の違和感
先にお書きしておきます。
考えがまとまっていません。
どうにも気持ちが悪いです。
この問題が最初に聞こえてきた時に、
私がまず思ったのは、
芸人なのに笑いにならん問題を
というものでした。
適切ではない生活保護の受給があり、
それを放置していたのは、紛れもなく河本さんの責任で、
その責任を問われるようなことになると、
笑いには出来ないだろうということが心配でした。
記者会見が行われ、自らの責任を認められ、
受けていた生活保護費を返納する意向を示されました。
それで彼の行いの全てに対し、
納得出来るという訳ではないんですが、
一定の理解はしたつもりです。
とはいえ、収まりを見せないこの問題に対し、
違和感を覚える訳です。
複雑なのは、この問題で実名を出して批判、
追及する姿勢を見せていたのが、
片山さつき参議院議員だという点ですね。
彼女も適切ではなかったと私は思います。
少なくとも、違法ではないとされるこの問題で、
彼のお母様が生活保護を受けているなんていう、
最大限保護されなければならないプライバシーを、
国会議員が公にしてしまいました。
河本さんが公人、またはそれに準ずる立場で、
その受給が適切ではなく、
また、彼女が名前を出さなくても、
河本さんの名前は出ていたにしても。
…とはいえ、片山参議院議員が叩かれるのも、
何か違和感があるんですよねえ。
藝人をいじめて愉しセレブ議員
https://twitter.com/Kitsch_Matsuo/status/205884490877370368
松尾貴史さんの川柳Tweetですけれど…
何かが違うんですよね。
この問題はそういうところに焦点が当たるべきではなく、
この生活保護制度自体の不備について、
皆が考えるべきなのではないかと思います。
社会正義として考えれば、
片山議員もそのための導火線として、
河本さんの名前を出したのかもしれません。
サンクチュアリの如きこの問題に手を付けようとすると、
有象無象の謎の団体が全力を挙げて抵抗するでしょうから。
ただ、そのための手段がベストではなかったと考えます。
社会正義を為すためだとしても、
もしも、河本さんがこれで収入を失うようなことにでもなれば、
彼の力ならばないとは思いますが、
万が一、彼自身の精神に問題が生じ、
客前に出られないような事態にでもなれば、
問題は彼のお母様の受給云々ではなくなります。
たしか、彼には奥様とお二人のお子さんがいらっしゃると思いますが、
その扶養が困難になるような事にでもなってしまえば、
彼自身も生活保護を受けなければならなくなります。
今回は「不正受給」ではないとのことですが、
不正時給は現実に多数行われているはずで、
そういう人に生活保護費が行かないような、
また、差し止めることが出来るようなシステムが必要なんですよね。
制度を変えるのであれば、
今回の河本さんのケースでは(少なくともここ5~6年のぶんは)、
受けられないようにしておかなくてはなりません。
ただ、そのためには、
扶養義務のある人の収入を把握する必要が生まれる訳ですが、
そのための手段が思いつきません。
生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/index.html
厚生労働省のページには、
生活保護制度について、このように書かれています。
その主旨から考えますと、
完全に労働能力がなく困窮している人は別にして、
労働が可能な人が困窮している場合においては、
自立するための資金でなくてはならない訳です。
現場からはケースワーカーの人手不足が聞かれ、
不正や不適切な受給を停止するためには、
この部分を見直さなくてはなりませんし、
いずれは生活保護受給を脱して、
自立出来るようなシステムも必要です。
また、昨今言われるワーキングプア状態では、
働かずに生活保護を受けたほうが生活が楽になるという
現代の日本社会の歪みにも問題があります。
この騒がしさが、
特定の個人の話題ではなく、
制度の問題の方へと向かってくれることを願います。
この二人を叩いたところで、
何も生まれるはずはありませんから。
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大河ドラマ 平清盛 第二十一話「保元の乱」 その背景~信西と頼長の孫子読み対決~
保元の乱に至るまでの経緯と、
源平の各勢力がどのようにして、
いずれに参陣するかを3回に分けてお書きしてきました。
今回の放送では、その保元の乱が描かれ、
史実では、短時間の戦闘で勝敗が決していて、
そのように描かれていました。
今夜の記事では、史実よりもまずは劇中の描写のお話から。
信西と藤原頼長の"孫子読み"が見所でしたね。
この時代きっての俊才である信西と頼長、
その対決という形になっていました。
この部分、画面に見入ってしまいました。
「藤本有紀」という脚本家としての色、
長所が出ていた部分であろうかと感じました。
孫子読みの孫子知らず
なんて言葉がありますけれど、
たとえ、それを暗誦出来たとしても、
その真の意味を理解出来ている人は少ない、
そんなシーンでした。
崇徳天皇・藤原頼長を前に、
源為朝が夜討ちの決断を迫っていました。
同じ頃、その兄の源義朝が後白河天皇・信西に
同じく夜討ちを進言しています。
頼長は孫子を引き合いに出します。
利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる
この教えは文字通り解釈すれば、
「有利な状況であれば兵を動かし
不利であれば機会を待つ」
となります。
劇中の藤原頼長は、崇徳上皇方の軍議でそのとおりに解釈し、
手勢が寡兵であることから、
大和からの軍勢を待つことにしています。
また、
夜呼ぶものは恐るるなり
夜中に声を上げているのは恐れの証、
いや、孫子に倣うまでもなく、
夜襲は卑怯であると断じます。
これは天皇の位を巡る戦であるから、
崇徳院の器に疑問を抱かせるような策は
採るべきではないとしています。
他方の信西は後白河天皇方の軍議で同じく、
夜呼ぶものは恐るるなり
を引いて、
夜通しこうしてピィピィと論じ続けるのは臆病者のすること
と解釈。続けて、
利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる
こちらを引き、
たとえ夜明けを待つにせよ、ぼんやりと待つことを、
孫子は良しとはせなんだのじゃ。
ならば動くがよし! 今すぐ!
と、義朝の夜襲の策を採用、
頼長とは全く逆の結論に至ります。
もしかすると、孫子の解釈については、
頼長のほうが正解なのかもしれませんが、
頼長は所詮、旧時代の政治家であったということなのでしょう。
信西は新しい世の始まりを感じ取っていて、
これから政治力を得るためには、
何が必要で、そのためには手段は選べないということを知っています。
信西がこの戦に期するのは、敵対する勢力の根絶。
卑怯であろうが、狡猾であろうが、それを手にする。
それぐらいの意気込みが見られます。
それは、この時夜討ちをさせているということだけではなく、
もう少し前、源義朝、平清盛らが招集される以前のお話で…
話は少し遡りますが、
また、そんなお話をお書きしたいと思います。
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1. ドットビキニ
2. チョトマテクダサイ!
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4. タチアガール
5. 有頂天LOVE
6. 恋にBooing ブー!
7. ショートカット
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9. ○○ がんばらなくてもええねんで!!
10. 夢見る 15歳
11. オトナになるって難しい!!!
12. スキちゃん
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14. ぁまのじゃく
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59分間、ハロプロエッグ時代から現在まで、
初公開の映像も含まれています。
スマイレージには楽しい曲がたくさんあります。
シングルメインで暗い曲はありません。
歌詞を最後まで聞くと、
メジャーデビューシングル「夢見る 15歳」は特殊ではあるんですが。
あとは、インディーズデビュー曲「ぁまのじゃく」と。
「smile+mileage」でスマイルをマイレージする。
「smile+age」でスマイル世代。
その意味を込められてスタートしたスマイレージですが、
元々、アイドルは笑顔がウリとはいえ、
ずっと明るいままというもの、
他のアイドルにはない厳しさもあるのかと思います。
タワーレコードの嶺脇社長はアイドル好きですが、
彼がご自身、アイドルを追いかるきっかけについて、
人間は弱っている時にアイドルにハマる
と仰っていました。
私も弱っていたんですよねえ…
だから、「楽しい」スマイレージなのでしょう。
元々私は歌唱力において「歌えるようになってから出てこい」
という主義だったんですが。
それと、ここのところずっと感じているんですが、
最近の音楽に対し、
つまらない
と感じている部分も大きいと思います。
特に歌詞、今は自作自演型の歌い手さんが多いんですけれど、
どうにも歌詞に個性がないように感じるんです。
平板なものが多く、別に平板でもいいんですけれど、
そういうものばかりではなあ、と思う訳です。
歌詞の中に「絵」が見えず、
心情をベタッと言葉にしているものが多くありませんか?
それがウリのアーティストなのかもしれませんが、
そういうアーティストばかりではと思います。
作詞家さんの歌詞のものが少ないことも関係しているでしょうか?
私が生まれる以前の曲も含めて、
昔はもっとヘンな曲がたくさんありましたよね。
スマイレージにはヘンな曲が多いんですけれど、
そのあたりも重要なのかと思っています。
平清盛 第二十一話「保元の乱」 その背景~崇徳・忠実・頼長は挙兵するつもりはなかった?~
前回の記事では、ドラマが面白かったため、
劇中の方を掘ってしまいましたが、
今夜は史実から保元の乱を考えます。
保元元年(1156年)、7月2日の夕刻、鳥羽法皇崩御。
その直前に崇徳上皇が見舞いに訪れています。
いよいよ法皇の容態が危ないとなったと知り、
鳥羽殿に現れたものの、対面は出来ませんでした。
それどころか、門前払いという目に遭い、
憤慨した崇徳院は鳥羽田中殿へと引き返します。
そして、鳥羽法皇が崩御。
崇徳院は急ぎ駆けつけますが、
またもや、中には入れません。
どうやら、法皇の遺言にの中には、
遺体を崇徳院には見せるなというものが含まれていたとか。
崇徳院はまた引き返すしかなく、
葬儀は崇徳院がいない状態でその夜に行われました。
そして京の都に流れる噂…
上皇左府同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す
崇徳院が左大臣・藤原頼長と組み、
政権強奪を企んでいるというのです。
5日、この噂の対策として、
後白河天皇は京中の武士を動かすことを禁止の勅命。
6日、その命に背いたとして、
京に潜伏していた藤原頼長方の源親治を
検非違使の平基盛(清盛次男)が捕縛しています。
8日、藤原忠実・頼長に対し、
荘園から兵を招集することを天皇が禁止、
同時に源義朝の手勢が摂関家当主代々の東三条殿を襲撃、
この邸宅を差し押さえています。
没官と呼ばれるこの措置は、
謀反人に対して行われるものであり、
この時点で、忠実と頼長は反逆者として
扱われていることが明らかになったのです。
後白河天皇の勅命で行われたこれら一連の措置で、
実際に動いていたのは信西だとされています。
鳥羽法皇が危篤の段階で既に味方の数を確実なものにしていた、
信西、美福門院得子、藤原忠通側が
相手の武士の動きを封じることが出来たと見る事が出来ます。
そもそも、忠実・頼長に、法皇崩御以前も以後も、
兵を動かしたという形跡は見られないようで、
これは既に数的有利を確実なものにした信西側が、
忠実・頼長親子に対して仕掛けた挑発だったのでしょう。
彼らが兵を挙げれば、信西も武力で叩き潰すことが出来ます。
では、
上皇左府同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す
この噂、誰が口にし始めたのでしょうか?
何者かの意図でこの噂が流されたとすれば…?
藤原忠実・頼通に残された手段は
挙兵
ただその一つしかありませんでした。
崇徳院も忠実・頼通が謀反人とされたことに慌てました。
上皇左府同心
は既に皆が認めるところであり、
このままでは、自分も捕らえられてしまうかもしれません。
上皇は重仁親王を伴わないまま、鳥羽田中殿を脱出、
妹・統子内親王の御所に乱入、
そこは洛東の白河…
かつての治天の君、白河法皇の御所でした。
10日夜、頼長が白河入り。
追い詰められた彼に残された選択肢は崇徳院を担ぎ、
挙兵するよりありませんでした。
たとえそれが信西の狙いだとわかっていても。
これ日来の風聞、すでに露顕する所なり
噂が真であったことが明らかになったと、
後白河天皇方は崇徳院方の動きに対し、
京中の武士を招集、それは
軍、雲霞の如し
と伝えられるほどの兵の数であったようです。
信西と源義朝は相手の虚を突き先手を打つ夜襲を主張、
藤原忠通は賛成しませんでしたが、
押し切られる形で軍議は決しました。
11日未明、天皇方の軍が進発します。
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大河ドラマ 平清盛 第二十一話「保元の乱」 その背景 ~…で、清盛は何を?~
7月10日深夜、後白河天皇方の作戦が夜襲に決した頃、
崇徳上皇方でも、軍議が開かれていました。
こちらは寡兵、平清盛や源義朝ら多数の武士が参陣した天皇方とは違い、
上皇方は源為義・平忠正らと、摂関家の私兵のみ。
他の貴族たちの多くは日和見を決め込んでいて、
いずれにも加担していませんでした。
期待するのは最大の勢力の平清盛が味方となってくれることですが、
それも実現せず、味方は約400のみとなりました。
敵には約350に平清盛の約300が加わってしまいます。
両軍の陣容が明らかになりつつある頃、
寡兵で戦うためには虚を突かねばならぬとして、
源為朝が夜襲を献策、しかし、藤原頼長がこれを却下、
大和国・興福寺からの援軍を待つことにしました。
11日未明、平清盛の軍300騎、源義朝の軍200騎をはじめ、
計650余騎が進軍を開始しました。
後白河天皇は高松殿から、平頼盛の軍勢が警護する東三条殿へ
三種の神器とともに移ります。
天皇方の夜討ちは成功し、数にも劣る上皇方は敗色濃厚となりますが、
源為朝が強弓にて敵兵を次々と射落としていきました。
清盛も義朝も多数の手勢を失い、後退を余儀なくされます。
天皇方に援軍、前線を維持しているうちに、
義朝は本陣の信西へと使者を走らせ、
許可を求めていました。
白河北殿に火を掛ける
信西はこの策を認め、朝、義朝は藤原家成邸に火を放ちます。
藤原家成邸に上がった火が隣の白河北殿に移り、
算を乱した上皇方の軍は壊走、
昼前には天皇方が圧勝する形で戦闘は終了しました。
劇中同様、短時間で戦闘は終了しました。
しかし、この戦では武士たちの力で
天皇家の問題が解決されることとなりました。
源義朝のこの戦闘に対する覚悟は相当なもので、
実際の戦闘で活躍を見せています。
さらにそれは戦後処理において、
その覚悟を示さなくてはならなくなります。
では、平清盛は何かをしたのでしょうか?
そのあたり、次回の放送に関わってくると思うんですが、
日曜日を楽しみに待ちましょう。
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