ここ何年間か、韓国の学校では
近代史、現代史をどう教えているのかが気になっていて、
それが先日の朝鮮日報のサイトに
【記者手帳】今年は光復70年、ご存じですか?
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2015071800544
こんな記事がありました。
今年は日本統治下からの独立から70年ということで、
1945年がその年であることについての認知度を調査したところ、
20代が49%、30代と40代が33%、50代は39%が知らないんですね。
まあ、中国共産党にしても、韓国臨時政府にしても、
抗日と言い続けてはいるものの、
日本軍と戦った形跡はほとんどないんですね。
彼らはそう教わっているはずであるものの、
認知度が高いとはいえないようです。
ともあれ、韓国での曲げられた歴史とはそんなものかと思いました。
再び、この作品が映画化され、
間もなく公開されますけれど、日本はどうなのでしょうか?
私たちは、あの戦争の真実をどれぐらい知っているのでしょうか?
8月15日,天皇はラジオの玉音放送を通じて,戦争の終結を発表した。
現行の教科書である東京書籍「新選 日本史B」の記述です。
8月15日に触れているのはこれだけなんだとか。
今回の講師は歴史作家で歴史研究家、
文教大附属高等学校教諭の河合敦先生で番組6度目のご登場。
「世界一受けたい授業」などでもお馴染みですが、
私も先生の著作はいくつか拝読しています。
先生は高校2年生を担当されているとのことで、
生徒たちにアンケートをとったところ、
「8月15日が終戦の日」であることを
35人中8人しかいなかったそうなんです。
誤答の中には8月6日、9日の原爆忌、
なぜか3月11日などという回答もあったようで…
(詔書の文字付き)
本日1日、ちょうど宮内庁から玉音放送の原盤が公開されました。
宮内庁によれば、昭和天皇のお声により近いようです。
こちらが詔書。
画像はクリックでオリジナルPDFへ。
宮内庁の当該ページはこちらから。
同時に公開されたのは当時の食糧事情についてのもの。
これについては以下の産経のサイトからどうぞ。
文字と音声(MP3)で確認出来ます。
もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」 戦後復興に向け国民に助け合い呼びかけ
http://www.sankei.com/life/news/150801/lif1508010014-n1.html
宮内庁 - 終戦の玉音放送
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html
(ファイルはwvxで実体の音声ファイルはwmaのようです)
私たちにはこれが昭和天皇の御聖断として伝わっていますけれど、
ここに至るまで、
これが実現するまでには知られざる戦いがあったのでした。
1945年3月、米軍が沖縄に上陸し、
軍人のみならず民間人にも無差別攻撃を浴びせました。
東京では、本土決戦の可能性
4月7日、鈴木貫太郎内閣組閣、
そこで情報局総裁を務めたのが下村宏でした。
4月27日、ラジオで彼は自身の声で異例の発表を行います。
現在は空襲被害が出て死者多数であり、
物資も苦しく形勢が不利であることを認めたのです。
当時は大本営発表として、
事実、虚偽を問わず、
日本軍の活躍のみが伝えられていた中の事です。
ただ、彼は最後に「一億総特攻あるのみ」と
付け加えることを忘れませんでした。
これは軍部の批判をかわすための言葉で、
そこまでに何を言っていようと、
この言葉を入れておけば軍部の反発を抑えられると考えていました。
生きて虜囚の辱めを受けず
当時の国民にもこの考えが浸透していました。
国民自身も、もはや勝つか負けるかではなく、
戦い抜くか滅びるかという考えになっていたのでしょう。
下村は終戦を画策していました。
そして、情報局総裁として、
「いかに終戦を伝えるか」についても考えていました。
終戦、つまり日本国の敗北を認めるということに対しては、
軍部だけではなく、国民からの反発も予想され、
この状況で、軍と国民を抑えつつ戦争を終わらせるには
大号令
しかないと考えます。
大号令とは天皇から国民への号令のこと。
彼は天皇の肉声をラジオで放送しようと考えたのです。
ほとんど全てといえるほどの日本国国民が
天皇の声を耳にしたことがないような時代の事です。
8月8日、ようやく天皇へ拝謁の機会を得た下村は
現人神を前にして緊張で声を詰まらせながら、
世論を終戦に向かわせたい旨を上奏、
1時間の予定のところ、倍の時間を費やして、
その考えを天皇に訴えました。
8月14日、御前会議にて昭和天皇は
戦争を続けるべきではないと考えていること、
私が国民に呼びかけることがよければ
いつでもマイクの前に立つ
その決意を述べます。
大号令の放送を一任された下村は録音での放送を決定、
その日の23時20分から、昭和天皇の声の録音は開始されます。
明けて25日の正午、マイクの前に立ったのは下村自身でした。
この冒頭の声が下村総裁です。
ただ「日本のいちばん長い日」にもあるように、
陸軍強行派将校らはこのレコードを放送させまいと、
クーデターを画策、宮内省を制圧し"玉音"を捜索しますが、
たまたま省内の書類の間の金庫に入れておいたものを
見つけることが出来ず、
私たちはこの日に終戦を迎えることが出来たのでした。
ただ、実際には、この文言が漢文によるものだったのと、
当時のラジオの音声がよくなかったことから、
多くの国民はその意味するところが理解出来なかったようです。
多くの国民が敗戦を理解したのは、
新聞各紙一面のこの写真からだと言われています。
正装で直立不動の昭和天皇に、
ポケットに両手を突っ込んで平服のマッカーサー元帥。
マッカーサーは双方の立場の違いを思い知らせるべく、
このような態度に出ている訳ですが、
当初、新聞各紙は不敬だとしてこの掲載を見送るのですが、
GHQの働きかけにより掲載、
これで日本国国民も日米の立場を理解することとなりました。
続きます。
次はこれよりも前のお話。
陸軍少将・小野寺信の終戦のための戦いです。