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こちらからの続きです。
渡辺
「大阪市久太郎町四丁目渡辺」の「渡辺」は地番、番地です。
皇居の東京都千代田区一番一号の「一番」に相当します。
久太郎町四丁目には「久太郎町四丁目一番」から
「久太郎町四丁目三番」までが、他の番地と同じように、
通し番号で、その後に「渡辺」が来ます。
そして、「久太郎町四丁目渡辺三号」のように
「号」が続きます。
ここから番組を離れます。
平安時代後期、嵯峨天皇の血筋の嵯峨源氏に
源綱(みなもとのつな)という武将がいました。
彼が旧淀川河口の摂津国西成郡の渡辺津、
後に「渡辺町」となるこの地に住み、
渡辺姓を名乗りました。
現在の日本で5番目に多い渡辺姓のルーツは彼になります。
この渡辺綱は源頼光に仕え、頼光四天王筆頭として、
伝説では酒呑童子退治で活躍、
酒呑童子家来の鬼・茨木童子は、
一条戻橋で女に化けて渡辺綱を連れ去ろうとするものの、
綱は名刀・髭切にて鬼の腕を切り落としています。
この時の髭切が
大河ドラマ 平清盛 第二十二話「勝利の代償」 その背景 ~源氏伝家の宝刀 髭切/友切の伝説~
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11269346742.html
やがて源義朝の家宝となります。
渡辺綱が渡辺を名乗り、そこの神社を司ります。
それが坐摩神社。
これも難読で「いかすり」と読むものの、
一般には「ざま」と呼ばれています。
綱の配下は水軍として全国に散らばり、
坐摩神社の周辺住民も渡辺姓を名乗ります。
豊臣秀吉の時代にね坐摩神社は現在の久太郎町四丁目渡辺三に移転、
渡邉紘一さんは第58代の宮司です。
近世、ここは渡辺町でしたが、1988年の区画整理で
この由緒ある地名が消えることになってしまいました。
これには地域住民が猛反発。
さらには、全国の「渡辺さん」がルーツが消えることに反対運動を起こし、
ついに大阪市は「渡辺」を番地として残すことを承認し、
この全国でも珍しい数字ではない番地が出来上がりました。
…続くような気がします。
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