http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11181355274.html
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11182362362.html
これらの記事からの続きです。
日本一の画工になる
画工とは絵師のことなんですけれど、
画家というよりは、絵描き職人という性質が強い言葉です。
浮世絵といえば、版画であることが多く、
絵師はその原画を版木に貼り付けて彫師が彫り、
摺師が版木に顔料を載せて刷ります。
肉筆浮世絵以外の浮世絵では、このように分業による作業で、
各職人がそれぞれの仕事をこなしています。
それを楽しむのは庶民で、浮世絵は町の人たちの娯楽だったんです。
絵師も職人の一人だということも出来るでしょう。
画工という言葉からも、
絵を描く職人という印象を受けます。
冨嶽三十六景、そして富岳百景を発表した葛飾北斎は、
浮世絵版画の世界から遠ざかります。
最晩年の彼が手がけていたのはこのような肉筆画です。
何から何まで立派なワシです。
老いによる枯れた境地など微塵も感じられません。
以前、葛飾応為の記事をお書きした時に、
fufufuさんからコメントで教えて頂いた長野県小布施の北斎館。
ここに一つの屋台があります。
土地の繁栄を願って作られた「上町祭屋台」、
83歳の北斎はこの屋台の仕上げに天井画を依頼されています。
この怒濤図には「波」しか描かれていません。
江戸でも彼の評判は高まるばかりで、
稀代の画仙妙手
と評されています。
しかし、当の北斎は自分の絵に満足していませんでした。
いつももっといい絵を描きたい、
そんなことばかり考えていました。
そんなある日、突然、娘の前で泣き出してしまいます。
俺ぁ、六歳の時から筆を持たねえ日はなかったんだよ。
それなのによぉ、猫一匹描けねえ。
どれだけ描いても、てめえの意のままにならねえ。
神の如く描くことを夢としてきた北斎には、
自分の画力の至らなさがたまらなく思えたのでしょう。
彼の娘は、未熟さを知る事こそ、
上達の始まりなんだと父を慰めたそうです。
こんな絵があります。
描いたのは露木為一で、北斎の弟子。
左に描かれているのが三女のおえい(応為)で、
右が83歳の北斎です。
この葛飾応為が常に父の身の回りの世話をし、
また、父の絵の助手でもあり、
そして、彼女自身も絵師でありました。
これが彼女の「夜桜美人図」。
父親も陰影の技術には優れたものがありましたが、
彼女はそれ以上のものを感じます。
北斎曰く、
美人画では俺も応為には敵わない。才能も技術もある
と評しています。
彼女については、2年前に作成したこの記事をご覧下さい。
おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-10454193346.html
「富士越龍図」。
富士から龍が天に昇っています。
この絵を描き終えた3ヶ月後、北斎は亡くなります。享年90。
天我をして十年の命を長らわしめば
天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし
天があと十年、命を長らえさせてくれるなら…
あと五年、命を保たせてくれたとすれば、
真正の画工となることができたであろう
そうつぶやきながら、この世を去ったそうです。
応為は父の死の悲しみのあまり、
行方知れずとなってしまいました。
1999年、アメリカの雑誌「ライフ」における
「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、
日本人として唯一選ばれている葛飾北斎。
もちろん、現代になってはじめて世界が評価し始めた訳ではありません。
シーボルトらの手により、西洋に紹介され、
ゴッホをはじめ、画家や工芸家に大きな影響を与えました。
1905年、ドビュッシーが発表したスコアの表紙です。
神奈川沖浪裏は、
ドビュッシーにこの「海」を書かせたのでしょうか?
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11182362362.html
これらの記事からの続きです。
日本一の画工になる
画工とは絵師のことなんですけれど、
画家というよりは、絵描き職人という性質が強い言葉です。
浮世絵といえば、版画であることが多く、
絵師はその原画を版木に貼り付けて彫師が彫り、
摺師が版木に顔料を載せて刷ります。
肉筆浮世絵以外の浮世絵では、このように分業による作業で、
各職人がそれぞれの仕事をこなしています。
それを楽しむのは庶民で、浮世絵は町の人たちの娯楽だったんです。
絵師も職人の一人だということも出来るでしょう。
画工という言葉からも、
絵を描く職人という印象を受けます。
冨嶽三十六景、そして富岳百景を発表した葛飾北斎は、
浮世絵版画の世界から遠ざかります。
最晩年の彼が手がけていたのはこのような肉筆画です。
何から何まで立派なワシです。
老いによる枯れた境地など微塵も感じられません。
以前、葛飾応為の記事をお書きした時に、
fufufuさんからコメントで教えて頂いた長野県小布施の北斎館。
ここに一つの屋台があります。
土地の繁栄を願って作られた「上町祭屋台」、
83歳の北斎はこの屋台の仕上げに天井画を依頼されています。
この怒濤図には「波」しか描かれていません。
江戸でも彼の評判は高まるばかりで、
稀代の画仙妙手
と評されています。
しかし、当の北斎は自分の絵に満足していませんでした。
いつももっといい絵を描きたい、
そんなことばかり考えていました。
そんなある日、突然、娘の前で泣き出してしまいます。
俺ぁ、六歳の時から筆を持たねえ日はなかったんだよ。
それなのによぉ、猫一匹描けねえ。
どれだけ描いても、てめえの意のままにならねえ。
神の如く描くことを夢としてきた北斎には、
自分の画力の至らなさがたまらなく思えたのでしょう。
彼の娘は、未熟さを知る事こそ、
上達の始まりなんだと父を慰めたそうです。
こんな絵があります。
描いたのは露木為一で、北斎の弟子。
左に描かれているのが三女のおえい(応為)で、
右が83歳の北斎です。
この葛飾応為が常に父の身の回りの世話をし、
また、父の絵の助手でもあり、
そして、彼女自身も絵師でありました。
これが彼女の「夜桜美人図」。
父親も陰影の技術には優れたものがありましたが、
彼女はそれ以上のものを感じます。
北斎曰く、
美人画では俺も応為には敵わない。才能も技術もある
と評しています。
彼女については、2年前に作成したこの記事をご覧下さい。
おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-10454193346.html
「富士越龍図」。
富士から龍が天に昇っています。
この絵を描き終えた3ヶ月後、北斎は亡くなります。享年90。
天我をして十年の命を長らわしめば
天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし
天があと十年、命を長らえさせてくれるなら…
あと五年、命を保たせてくれたとすれば、
真正の画工となることができたであろう
そうつぶやきながら、この世を去ったそうです。
応為は父の死の悲しみのあまり、
行方知れずとなってしまいました。
1999年、アメリカの雑誌「ライフ」における
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もちろん、現代になってはじめて世界が評価し始めた訳ではありません。
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ゴッホをはじめ、画家や工芸家に大きな影響を与えました。
1905年、ドビュッシーが発表したスコアの表紙です。
神奈川沖浪裏は、
ドビュッシーにこの「海」を書かせたのでしょうか?
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