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生きることで得られる楽しさや喜びは誰にでもある -相模原殺傷事件に-

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私が小学校4年生だったか5年生だった頃に、
水泳の授業で25mプールのタイム計測がありました。
当時の私は息継ぎが得意ではなく、
25mを泳ごうとすると、
そのために途中でプールの底に足を着いてしまっていました。

タイム計測当日、
計測直前になって短絡的なアイディアを思いついた私は
それを実行、息継ぎをせずに25mを完泳しました。
途中から全く前に進んでいないような気がして、
もしかすると、適時足を着いておいたほうが
早くゴールできたのかもしれません。
ただ、当時の私が頑張ったのは事実で、
息継ぎができるようになった後も、
私にとってはいい思い出になっています。

子供の頃のスポーツにまつわる思い出としてはほかに、
中学の時のバレーボールの授業で、
トスアップされたボールをスパイクする練習があり、
その頃の私はそれが上手くできず、
ジャンプするタイミングが早すぎたり遅すぎたりしました。
ところが、球技大会の試合ではちゃんとスパイクを打てました。
味方がレシーブした球が高く左に逸れ、
その時、前衛のレフトにいた私のほうへと流れてきました。
そのままではアンテナに当たりそうでしたが、
この時はなぜか上手くスパイクを打てたんです。
ちょうど、オープン攻撃で2アタックしたような形で、
この時のボールがクロスでコートに直撃したボールの軌道は
スローモーションのようによく覚えています。

なぜ、練習で全くできなかったことが、
あの時の試合でできたのかについて、
よくよく考えてみたんですが、
練習では真上にトスアップ、
セッターがその場所から下がり、
アタッカーが横からその場所に入って
スパイクを打つという流れでしたが、
真上に上がったボールというのは距離感がわかりづらく、
だから、タイミングがつかめませんでした。
あの時の試合では、ボールは斜めに飛んできていて、
だから、ボールが見やすく、
考える時間もなかったことから、
ベストのタイミングで跳ぶことができたのでしょう。

人間というものは、
こんな下らないことでも、
喜びに変わりますし、
それは人それぞれに違うものだと思います。

相模原の事件では、事前に大島理森衆議院議長宛に、
彼は手紙を書いており、その中に
「障害者は不幸を作ることしかできません」
という部分がありました。
そんなことはないでしょう。
障害者も喜びや幸せを作ることができるはずです。
私は健常者ですけれど、
ただ、障害者手帳を持っていないだけで、
問題を抱えており、それらは特別なものではないものの、
苦しみの種となっています。
それは何も私だけのことではなく、
この世に生きる人、全ての人が体に、心に、
あるいは環境に何かしらの問題を抱えていることでしょう。
障害者手帳のような形になっていないだけで。
彼の出来損ないの優生思想のような考え方に従えば、
私も生き続けるべきではありませんし、
私以外にも、同様の人がいるはずで、
もしかすると、地球上の人の多くが
生き続けるべきではないかもしれません。

しかし、その理窟が誤りであることは自明で、
私を含め、障害者の方々も
日々の苦しみだけではなく、
日々の楽しさ、嬉しさ、喜びを感じて生きていると思います。
誰もが祝福されて生まれてくるべきで、
この世に生きている人は、
祝福されて生まれてきたのだと思います。
命そのものが喜びの形です。
そのことを忘れるべきではなく、
あんな男の世迷い言に微塵も惑わされるべきではありません。

あの男の供述や手紙は、
捜査関係者や研究者にとって意味があるもので、
私たちには無価値のものです。
あんなものに惑わされるべきではありません。
私自身、テレビで繰り返し朗読されるあの手紙に、
勘弁願いたいと思いつつも、
精神汚染が起きそうな気がしましたので、
こんなタイトルの記事をお書きしてみました。




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