http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12198663363.html
こちらの新京阪線などのお話から続いております。
この番組では、鉄道評論家、鉄道アナリストの川島令三さんが
京阪を「技術の京阪」と表現され、
2010年の放送では新京阪線が阪急京都線になったことについて、
「経営の阪急」に負けたとしていました。
ただ、今回のこの番組の川島さんは
当時、乗客数ではあまり多くなかった新京阪を
京阪にとっての「お荷物」と語り、
それを阪急が引き取ったという表現をされていました。
6年前、阪急側からクレームでもあったのでしょうか。
どちらのほうがより真実に近いのか、
それとも、両方が真実でしょうか。
「技術の京阪」として思い浮かぶのは、
このクロスシートの自動一斉転換装置。
(50s~)
折り返しの駅で見られる光景です。
列車進行方向へ座席を向けるこの技術は世界初なんだそうです。
ほかに座席では、これも世界初だった5000系の片側5扉車両。
しかも、京阪ではほかは真似できない
今後も真似されることはなさそうな
3扉車両への転換。これはラッシュ時には座席数を最小限に、
乗客の流れを円滑にするため、
ドアの数を増やすという工夫が施されています。
その他、駆動系をスプリングの上に配置して、
振動を抑制するカルダン駆動方式も初、
エアサスペンションを採用した空気バネ台車も、
営業用として初めて採用した鉄道車両は京阪1700系で、
これらは「技術の京阪」を物語っています。
逆に営業面では様々な「残念」な出来事が起きており、
新京阪、京阪グラウンドなどもそうですが、
奈良電気鉄道についてもそうでしょう。
この路線は現在、近鉄奈良線として運行されていますが、
ここにも京阪は編成を走らせていました。
これは京都駅から西大寺駅までの路線で、
大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)との共同出資で開設された路線でしたが、
どういう経緯からわかりませんが、
近鉄が株を買い占め、京阪も株を手放し、
現状に至るようです。
京阪を利用していると、京都側は京都駅に、
大阪側は大阪駅、梅田駅につながっていないことを不便に感じます。
しかし、奈良電気鉄道が京阪の子会社だったころは、
ちゃんと京都駅まで直通列車を走らせていました。
こういった、どこか足りない部分が愛着ともなっているのですが、
大阪の私鉄にとって、梅田直結は悲願であり、
京阪もそのための計画を進めており、
実際に工事も行われていました。
ここからが今回の番組内容になります。
関西以外の方がご覧になっているとわかりづらいでしょうが、
ここで「梅田駅」としているのは
ほぼ「大阪駅」と同じだとお考えください。
大阪人でも固有名詞として以外、
その違いを説明するのは困難です。
「大阪の梅田にあるのが大阪駅」だとお考えください。
大阪人はこの場所について、
「梅田」を使用することが多くなっています。
1942年の大阪市の中心地、梅田の地図を見てみますと、
現在の阪急百貨店の北隣、
JRの軌道との間に細長くA、B、C、Dと記された部分があります。
この隙間のような土地は
当時の鉄道省から京阪に引き渡されるはずだったもの。
ここに「京阪梅田駅」を建設する予定だったのです。
1906年に創業された大阪京都間初の私鉄である京阪は
旧京街道沿いに線路を敷設することにしましたが、
大阪側の起点をどこにするかを考えた時に、
やはり、市内中心地であり、
国鉄のターミナル駅もできた梅田にしようと決め、
鉄道省からも認可されました。
しかし、大阪市から待ったかかかります。
大阪市は市営の鉄道を整備しており、
市内の鉄道は大阪市が主導すべきだという考えが強く、
私鉄各社の大阪市への乗り入れを制限していました。
もちろん、京阪は既に国、鉄道省から運行の免許も獲得しています。
そして、用地も取得しています。
京阪に梅田駅を諦める理由は何もありません。
ここで大阪市は一つの案を提示してきました。
京阪には梅田から直線距離で10kmほど南西にある天満橋までの運行を認め、
そこから先の梅田までは
大阪市が敷設する市電の軌道への乗り入れを許可するというのです。
京阪にとってみれば、
市電のための工事は大阪市が行うことでもあり、
この「美味しい話」に乗っかり、
1910年、京阪は天満橋、京都五条間を開業させます。
市電の軌道が敷かれれば、
京都から天満橋、
北浜の高麗橋を経て、市電に乗り入れることで、
梅田まで直通で結ぶことが可能です。
しかし、この乗り入れは実現されませんでした。
問題は軌道の規格にありました。
市電の線路は京阪のそれよりも狭軌であり、
京阪は鉄道省から得た許可を放棄せざるを得ませんでした。
それでも、京阪は梅田乗り入れを諦めません。
これが新京阪線建設へとつながります。
その新京阪計画の中で、
京阪が目を付けたのが城東線でした。
これは現在の大阪環状線の一部で、
高架化される時に不要となり、、
軌道は撤去されることになっていました。
ここに京阪の車両を走らせれば、
梅田まで直結させることができます。
早速、鉄道省に城東線払い下げ交渉を開始、
その確約を取り付けます。
京阪は新京阪線を桜ノ宮駅の東側で国鉄の高架をくぐり、
旧城東線の軌道に乗って、
「京阪梅田駅」に向かわせる予定でした。
しかし、現在「京阪梅田駅」は存在していません。
京阪の大阪側の起点は淀屋橋駅、
あるいは中之島駅です。
それは、あの時、また大阪市から横槍が入ったから。
どうしても私鉄の梅田への乗り入れを制限したい大阪市は、
国に京阪との契約について異議申し立てを行い、
それを鉄道省が認めたことで、
この計画はなかったことにされてしまいます。
京阪は鉄道省へ再交渉に臨みますが、
再び、契約が成立することはありませんでした。
ただ、それでも京阪は望みは捨てません。
元の計画では、上新庄から南へ淀川を渡り、
桜ノ宮方面へと向かうはずでしたが、
新京阪線を上新庄から西へ十三へと向かわせ、
そこから梅田へと結びます。
新京阪線が京阪の悲願を実現させるのです。
しかし、戦時下の国策で京阪は現在の阪急と統合、
再び、京阪として分離した時、
その新京阪は阪急のものとなっていたのでした。
4年前、阪急梅田駅とJR大阪駅を結ぶ通路の改修が完了しました。
この撮影者が向かっているのが阪急方面で、
目の前にあるのは阪急百貨店。
通路改修は阪急百貨店の改装に伴うものでした。
この横断歩道と通路、
この場所こそ、京阪が梅田駅を建設しようとしていた場所。
鉄道省との契約が流れた後、
その土地を手に入れたのは阪急だったのです。
そして、JR桜ノ宮駅の東にある環状線の陸橋の下、
この画像左、ここに三角形の小さな土地があります。
京阪は国鉄が軌道を高架化する時に、
国鉄に対し、その資金の出資を行っています。
この上の陸橋は京阪が架けたもの。
もちろん、その下に京阪の軌道を敷設するため。
その橋脚は直方体ではなく、
立体交差のために、斜めになっています。
この陸橋に付けられているプレート、
そこに刻まれているこの橋の名前は
「京阪電鉄乗越橋」なのでした。
この梅田に入る新京阪を、
京阪本線とつなげる計画があったという話を耳にしたことがあります。
その合流地点候補とされていたのが森小路駅で、
京阪利用者なら、この駅に何らかの違和感をお持ちだと思います。
寝屋川市以西は複々線の京阪ですが、
特急、急行、準急停車駅は
淀屋橋・中之島方面、出町柳方面とも島式ホームで、
区間急行や各駅停車のみが停車する駅は対向式になっていて、
真ん中の2つの軌道を特急や急行などが使用しています。
これは関目駅のもの。
この区間では典型的な各駅停車のみ停車の駅です。
この関目の隣の森小路駅はやや特殊で、
淀屋橋方面、出町柳方面のどちらもホームはなぜか島式で、
それも、外側のホームしか使用できず、
内側は柵が設けられています。
こんな奇妙な構造になっているのは、
いずれ新京阪との合流を考えていたのではないか、
そして、大東方面へと伸ばす可能性も考えていたとか。
さらには、その先は名古屋へという計画があったとも聞きます。
鉄道会社の計画は本決まりになるまで
公になることはないので、
確認しようがない話ではあります。
愛すべき我らが京阪電鉄のお話でした。
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