アフターヒストリー その後 歴史が動いた
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歴史でよく知られた出来事、
人物のその後について、お話の続きです。
前回は桜田門外の変と井伊直弼のその後についてお書きしましたが、
日本が激動の時代を迎えるきっかけは
マシュー・ペリー率いる米艦隊の来航、
いわゆる黒船来航だったでしょう。
そのペリーは中国への航路確保、日本開国任務のあと、
アルコール依存症や痛風、リウマチに悩まされながらも、
「日本遠征記」を著し、アメリカだけでなく、
西洋社会でベストセラーとなりました。
彼は刊行後もこの編集を続け、
その作業を終えた直後に亡くなっています。
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米軍人のダグラス・マッカーサーは
日本人にとっては連合国司令部(GHQ)の最高司令官として知られています。
敗戦時に国民は虐殺、略奪が行われるのではないか、
奴隷にされて売られてしまうのではないかと連合国軍を恐れましたが、
その占領統治はその後の日本に大きな影響を与えました。
良くも悪くも、現在の日本にもそれは残されています。
彼は日本統治において、
トルーマン大統領から米国史上最大といわれた全権を任せられており、
日本人にはマッカーサーを英雄視する向きもありました。
彼は本国に向けて、日本が軍事国家になる心配がないことなど、
その統治が問題なく進んでいることを報告しています。
その中には、
早期に占領統治を終了させるべきだという意見も含まれていました。
それには彼のアピールが含まれていたのです。
彼は1948年に行われる大統領選に出馬するつもりでした。
日本でも彼の意向は大きく報じられ、
街には彼を応援する横断幕が掲げられたといいます。
しかし、候補としての現実は厳しいものでした。
この時の共和党大会の予備選は全体で1094票、
そのうち、マッカーサーが獲得したのは1回目では11票、
2回目が7票、3回目には0票と、泡沫候補レベルでした。
それなのに、日本ではマッカーサー大統領が現実のものになるとして、
報道は過熱され続けています。
戦中に報道の自由はありませんでしたが、
それは敗戦後も同じでした。
規制をかけていたのが日本の軍部から、
GHQに変わっただけだったのです。
GHQが日本国内にマッカーサーに不利な情報を流させるはずはありません。
だから、当時の多くの日本人は彼が大統領になるものだと思っていました。
1950年、朝鮮戦争勃発。
この戦争でマッカーサーは国連軍総司令官となっています。
断たれたはずの大統領への道が再び開けたと彼は考えたことでしょう。
この戦争とその後の統治で活躍すれば、
大統領選挙に再びチャンスが得られると考えました。
だからなのか、朝鮮戦争では強行作戦が目立ちます。
北朝鮮軍の電撃的侵攻に対し、
米英韓連合軍は危機的状況に陥っていましたが、
それに対し、マッカーサーは仁川上陸作戦を敢行、
ソウルの奪還に成功、
これにより、米国内でもマッカーサーは大人気となります。
そして、本来の作戦目的を北朝鮮軍の侵略の阻止から、
北朝鮮軍の殲滅とし、戦場は拡大させます。
トルーマン大統領はマッカーサーに帰国を促すも、
彼はそれに応じることはありませんでした。
しかし、マッカーサーの予想に反し、
中国の"義勇軍"が介入、米英韓連合軍は大打撃を受けたものの、
彼は前線を後退させず、
北緯38度線南への撤退を指示した時には、
大勢の犠牲者が出ていました。
この失地を回復すべく、マッカーサーが主張したのが核兵器の使用でした。
彼は中国東北部への空爆に原爆を含めるつもりだったのです。
結局、中国東北部に対する空爆は本国から許可されず、
彼はトルーマンを公然と批判、
朝鮮戦争の失敗の責任は自分にはないとし、
米国内で孤立していきます。
1951年4月、マッカーサーは解任、帰国。
その際、朝日新聞と毎日新聞は紙面に彼への感謝の思いを綴っています。
本国で彼がどう評価されているかなど知らない大勢の日本人が
彼を見送ったようです。
しかし、翌月の上院公聴会で彼は日本人を評して
現代文明を基準とするならば、我らが45歳の年齢に達しているのと比較して、日本人は12歳の少年のようなものです
と話し、これにより、
日本でのマッカーサー人気も終息となりました。
そして、彼は大統領選挙に出馬、
結果は惨敗となっています。
この「12歳」という表現については、
英語でいうところの「teenager」、13歳未満ということですが、
だからこそ、
賞賛に足る意志と、学習意欲と、抜きんでた理解力をもって、日本人は戦争が残した灰の中から、個人の自由と人格の尊厳に向けた大きな建造物を建設した。政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、今や日本は地球上にある多くの自由国家と肩を並べており、決して再び世界の信頼を裏切る事はないであろう
という予測も語っています。
なお、マッカーサーかもら遡ること約100年、
恫喝するようにして日本を開国させたマシュー・ペリーでしたが、
「日本遠征記」では、日本の工業の潜在能力について
日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば
強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう
と述べています。
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