半月ほど前のことになりますが、
京都の貴船神社と鞍馬寺に行ってきました。
今回も付き添い役でしたので
あまり行動の自由はありませんでしたが、
短くも興味惹かれるものにたくさん出会えた旅になりました。
まずは貴船へ。
この「貴船」。地名と神社で読みが違うということは記憶にあり、
一方が「きぶね」と濁り
他方は「きふね」と清音なんですが、
どちらがどちらなのか、
何度か聞いているはずですが、
そのたびに忘れてしまっていました。
今回、ようやくはっきりと記憶できました。
地名は「きぶね」で、
神社は神聖な場所ということで
あえて濁らないようにしているようです。
理由がわかれば記憶にも残ります。
ほかに「貴布禰」という用字も見られます。
ただ、元は「黄船」の意味合いであったらしく、
伝承によれば神武天皇の母の玉依姫(タマヨリビメ)命が
難波津(大阪湾)から淀川、鴨川、貴船川と船で遡上、
水神たる高龗神(タカオカミノカミ/淤加美神:オカミノカミ)を
祀ったことが始まりだとされます。
この時の船が黄色い船で、
よって「黄船」だとのこと。
その黄色い船が現存しているということなのか、
奥宮にこのような「御船型石」がありました。
これはその船が石に覆われた姿であるらしいです。
京都には数え切れないほど度々訪れているものの
貴船は初めてで、あまり自由には行動していませんが、
ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる
貴船神社といえば、私にとっては和泉式部。
この和泉式部の歌碑は結社(ゆいのやしろ)にあります。
瓊瓊杵(ニニギ)尊が木花開耶(コノハナノサクヤ)姫を
妻に娶ろうとしたとき
木花開耶姫の父である大山祇(オオヤマツミ)命が
木花開耶姫の姉の磐長姫(イワナガ)命も共に妻にと奉ったところ
瓊瓊杵尊が木花開耶姫のみを妻とし、
その容姿が原因で磐長姫は送り返されてきました。
磐長姫については、この時の呪いにより
人間を短命にしたと日本書紀にはあるものの、
貴船神社では、妹のみが良縁に恵まれたとして恥と思い
以後、この地で縁結びの神として良縁を授けることになったとしています。
和泉式部は夫の藤原保昌がなかなか通ってくれなくなったことに悩み、
縁結びの貴船神社に参拝。
貴船川に舞うホタルを見てこの歌を詠みました。
恋しく物思いをしていると沢の蛍も我が身から抜け出た魂に見える
これに貴船明神が歌を返したとされ、
それがこちら。
おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ
奥山に叩きつけ落ちる滝の水滴のように飛び散ってしまうほど思い悩むなかれ
この時の参拝に御利益があったのか、
また夫が通ってくるようになったとか。
ただ、この貴船神社は縁切りの御利益でも有名。
室町時代の謡曲「鉄輪(かなわ)」には
丑の刻参りに相当する恨み辛みの話があります。
晴れた日で日中は暑かったものの
木々が茂っていて湿度が高く
岩や木は苔に覆われていました。
私は上着を手に持って歩いていましたが
それらの苔に上着がこすれてしまったのか
緑色のシミがついてしまいしました。
教訓としては貴船にはクルマでいくべきではないという点。
山を登る方向から見ますと
左手に店、右手にこんな感じの川床があり、
その間の片側一車線の細い道路を
クルマが走り、参拝客が歩くわけですが
お店の方たちにとってこの道路は
いわば廊下のようなものになっています。
料理を手に、道を横断しなければなりません。
川床料理店の中には自前の送迎車を出しているところもあり
そういうものならともかく、
自家用車での移動はなかなか辛いものがあります。
対向車とすれ違うのも一苦労です。
叡山電鉄と京都バスでも行けますので
こちらのほうがよいかと思います。
最後に。
紅葉の季節は絶景になるはずです。
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