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世界文化遺産に登録「旧五輪教会堂」 潜伏キリシタンと隠れキリシタンはどう違う?

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昨日6月30日、世界文化遺産として
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されることが決定しました。
長崎県のサイトを見てみますと、
県や関係市町では世界遺産委員会が開かれている
バーレーンからの生中継パブリックビューイングを実施していたようです。

私がこの話題について特に興味を惹かれたのは
6月7日のYTV「す・またん」で扱われてからで、
その時、「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」が違うものだと
初めて知りました。
今回の世界遺産関連で「潜伏キリシタン」という言葉は何度も目にしていましたが
頭の中で「隠れキリシタン」に置き換えていました。
違うものだったんですね。

世界遺産として登録されるのは以下の集落や施設です。

「原城跡」「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」
「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」「天草の﨑津集落」
「外海そとめの出津(しつ)集落」「外海の大野集落」
「黒島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島(かしらがしま)の集落」
「久賀(ひさか)島の集落」
「奈留(なる)島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」
「大浦天主堂」

原城などは島原天草一揆(島原の乱)で知られていますね。
大浦天主堂は既に観光名所として有名です。
番組ではこれらのうち、

「久賀島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島の集落」
「奈留島の江上集落」に辛坊治郎さんが赴き
レポートしていました。

18世紀末、禁教令下の迫害から逃れるために
外海地区から3000人が移住したために
五島列島には隠れキリシタンが多かったそうです。

 

 


ここが久賀島。ここには日本で2番目に古い木造教会
「旧五輪(ごりん)教会堂」があります。
元々は1881年に島の西側に建てられ、
1931年に現在の場所へと移築したものなんだそうです。
辛抱さんによれば、歌手の五輪真弓さんのお父様が
ここでオルガンを弾いておられたとのこと。
調べてみますと、この島の五輪(ごりん)地区には
五輪(いつわ)姓が多いらしいです。
ただ、中には五輪(ごりん)姓の一族もあるようで
そちらが本家筋なんだとか。

この教会堂の目を見張る美しい曲面の天井は
明治前期の初代神父が船大工に作られたらしいです。


1587年に豊臣秀吉が
キリスト教宣教師の国外追放を命じるバテレン追放令を発布。
徳川幕府は1612年に
教会の破壊と布教の禁止を命じた禁教令を発布し、
以後、島原の乱などがありつつ
1868年に徳川幕府から天皇へと政権が奉還されます。


ただ、それで信仰の自由の回復が行われたかといえば
まだ、時間が必要で
大政奉還の「五箇条の御誓文」の翌日に「五榜の掲示」が発布されていて
この中に「切支丹邪宗門厳禁」の項があり信徒の弾圧は続いていました。
ただ、「五箇条の御誓文」では国際法を守るとしつつも
キリスト教徒弾圧は続いていたことに諸外国が反発。
イギリスからは内政干渉を防ぐ手段として政教分離の進言があり
明治政府はキリスト教の布教と信仰ができるようになりました。
しかし、政府が公式に認めるようになるのは1899年のことになります。

徳川幕府の禁教令から
密かにキリスト教を信仰していたのが「隠れキリシタン」です。
この時点では「潜伏キリシタン」と同義だと考えてよいでしょう。

明治前期から中期にかけて
キリスト教の信仰が可能になると
多くの人がカトリックの信徒となった、
あるいは復帰しました。

ただ、一部には「江戸時代から代々続いてきた信仰」が大切だと考え
その儀式や行事を守り続けた人がいます。
この「隠れキリシタン」は現代でもその信仰を続けており
彼らを「潜伏キリシタン」とは呼びません。
また、今回の世界文化遺産には
「隠れキリシタン」は含まれていません。

 

 

 

 

 

 


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