こちらではようやく、いつもの雨程度の降りになりましたが
寝屋川市としては、まだ避難勧告が継続されている地域もあります。
気象庁のサイトで隣の枚方の日降水量を見てみますと
5日の記録が183.5mmとなっていて、これは観測史上最大の値です。
九州、四国、中国、近畿で被害をもたらした豪雨は東へと進み中部へ、
日本列島に沿って北陸、関東、東北、北海道でも警戒が必要かもしれません。
豪雨が収まった地域でも引き続き土砂災害への警戒が必要です。
私が住む地域は、低地ではあるんですが
水害の可能性は低いかなと思っていました。
それは、10年程前から整備されてきた治水施設の存在からです。
京阪本線萱島駅の北側には小さな橋が架かっていて
その名を「流作小橋」といいます。
子どもの頃、寝屋川に架かるこの橋の名前を見て
えもいわれぬ悲しさを感じました。
後にこの地域の歴史を考えるようになり、
その悲しさが現実に由来するものなんだと知ることになります。
ここは江戸時代中期まで「よし島」などと呼ばれていました。
元々、このあたりの寝屋川は川幅が広く、
中洲があり、河原などによく生えている葦がたくさん生えていて
そこから、葦の異名である「よし」「萱」が地名に採られたのでしょう。
今から280年程前の元文年間、この中洲が農地として開墾されます。
ただ、中洲ですから、寝屋川が増水すれば作物が流されてしまいます。
この中洲の田畑は「流作新田」と呼ばれました。
「流作場(りゅうさくば)」という言葉もあるようですね。
これは堤防よりも川寄りにある農地のことで、
地名、またはその名残が京都市、愛知県碧南市などにあり、
静岡県磐田市には「駒場流作新田」の地名が残っています。
ここの場合、明治末になり、寝屋川村大字萱島となったことで
地名としての「流作」は消えたのかもしれませんが
「流作小橋」が当時の苦労を伝えています。
この中洲ではなくても、
寝屋川は暴れ川として何度も氾濫し
周辺は海抜が低いため
水害には苦しめられていたそうです。
この地域で私が体験した水害は
ここから徒歩5分ほどの距離にあるところに住んでいた十年以上前に
床下浸水に遭い、近所では床上浸水の被害もありました。
ただ、今は地下河川があります。
ここから1kmほどのところに「讃良(さんら)立坑」があり
これが寝屋川北部地下河川へと繋がっています。
寝屋川北部地下河川は
寝屋川市から大阪市都島区を通る予定の地下空間で
地上から40m以上地下深くにあり、
守口市から寝屋川市間は2015年度末に工事を完了しています。
このほか、寝屋川には寝屋川南部地下河川も設けられています。
5日から6日、こちらは地響きがするような豪雨でした
これらの施設が寝屋川の私たちを水害から守ってくれていたんだと思います。
関東にも洪水調整施設として「首都圏外郭放水路」があります。
これらの施設は平野部に適しているのでしょうから
土砂崩れなどの防止には向かないとは思いますが
豪雨による被害は大幅に抑えられるはずです。
こういったものを全国に敷設するべきではないでしょうか。
莫大な予算がかかりますが、
建設国債の発行で賄えるでしょう。
災害時における早期の復旧のための備え、
建築土木の分野の人員養成、
老朽化したインフラの更新も災害対策です。
上水道の民間委託の流れはそのマイナス要因になる可能性があります。
財務省や財務省に洗脳された議員たちが
「国の借金」という言葉を持ち出すでしょうが
そんな根拠のない言葉よりも
国民の生命を優先してほしいものです。