今月はじめ、奈良国立博物館で行われていた
「御即位記念 第71回 正倉院展」に行ってきました。
凄まじい人気で、平日の午前でしたが、
展示物に近づくのも一苦労。
平日の午後が最も見やすいというお話でしたが、
あの様子では、入館までの時間はましになっても
見やすくはならないかと思います。
それほどの大盛況でした。
奈良国立博物館は近鉄奈良駅から徒歩圏内で、
同じ方角に東大寺や春日大社、
興福寺などの見所がたくさんあります。
特に近年は外国からの観光客が多く、
この日も少なめに見て半数は外国人でした。
最も多く聞こえてきたのは北京語で、
次いで英語といったところでしょうか。
ただ、正倉院展をはじめ、
文化財は興味の対象ではないのか、
展示物や仏像などの前では
日本人ばかりのようでした。
それらの意味が外国人向けのサイトで
解説されていれば、増えるのかもしれません。
彼らが最も強く興味を示していたのではないかと思うのがこちら。
正倉院の宝物はともかく、
東大寺の盧舎那仏も興福寺の阿修羅像も
外国人人気の面では及ばないようです。
さて、正倉院展のほうは満足に見られなかったものもありつつも、
よく千年以上も守られてきたものだと
感動するものが多く、
初展示のものもあり、得がたい機会となりました。
そして、その後は興福寺へ。
たまたま興福寺では国宝の北円堂と
重要文化財の南円堂が特別公開中で、
内部の仏像もたくさん見られました。
それでも、やはり最大の見ものは国宝館の阿修羅像でしょうか。
阿修羅像は国宝の八部衆像の中の一つで、
天平6年(734年)のもの。
阿修羅は古代インドの神々を統べていた帝釈天とも戦ったほどの神ですので、
険しい表情をしているものが多いのですが、
ここの三面六臂の阿修羅像は
それぞれの顔がなんともいえない独特の表情をしています。
このような表情をしているのは、
仏教に帰依し釈迦の入滅に際して群衆の一員であるからだとも
悟りを開く瞬間の顔だとも解釈されています。
ただ、近年、CTスキャナーによる撮影が行われ、
現在見ることができる顔の下に、
別の顔があることがわかりました。
制作開始時とは違う顔になっているというのです。
完成形の正面の顔は眉をひそめていますが、
元々は冷たく無骨な表情で、
右の顔は下唇を噛み何かをこらえているように見えますが、
元は口をわずかに開いた驚きを含む表情で、
左の顔は厳しい表情となっていますが、
元はそれよりもさらに強い怒りを含む表情になっています。
制作者たちはその表情で造形していたものの、
途中でオーダーが変わったのでしょう。
オーダーは光明皇后からのものである可能性があり、
最終的によく知られた今の顔となったのでしょう。
ただ、この頃、皇后は皇子・基王(もといおう)を亡くしています。
32日間の短い命でした。
この阿修羅像が少年の顔をしているのは、
皇后が基王に似せて作らせ、
存命ならば見られたはずの姿を写し出しているという説もあります。
興福寺は現在に至るまで何度も大きな火災に遭いました。
その度に僧侶たちはこれらの像を避難させたといいます。
とりわけ阿修羅像などが無事だったのは、
脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)だったから。
漆は空気に触れると化学変化で硬くなっていきます。
まず、漆を浸した麻布で基礎となる粘土などをくるみ、
麻布を固定。これを繰り返して造形していきます。
現在で見られる張り子のようなもので、
最後に目立たない部分を切り開いて土を取り出し、
このままでは痩せてしまいますので、
中に木枠を残します。
このような構造ですから、
木製や金属製の仏像よりもはるかに軽く、
僧侶たちも避難させやすかったため、
1300年後の私たちもその姿を見ることができていることになります。