無癩県運動と新型コロナウイルス ~正義が作り出す差別~
まずは残念なお話から。
以前、スウェーデンの新型コロナウイルス対策をお書きしました。
高齢者などの高リスクの人以外については、
緩い活動制限にとどめて、
感染者を増やして免疫を獲得してもらおうという「緩和戦略」ですが、
国内で大流行し、死者を多数出したスペインで行われた抗体検査では、
5%の人しか抗体を持っていないという報道がありました。
現在、抗体検査の精度に問題があり、
無作為に選ばれた人に対しての検査なのか
今ひとつ読み取れませんでしたが、
(スウェーデン語のニュースをGoogle翻訳にかけただけなので)
https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/wPqG7d/folkhalsomyndigheten-om-flockimmunitet-inte-var-strateg
もしも、それなりに実情を反映しているとすれば
スウェーデン政府が期待している結果は得られないことになります。
「緩和戦略」は「集団免疫」を目指すもので、
そのためには60~70%の人が免疫を獲得する必要があります。
スウェーデンはこれまでに3,700人弱の犠牲者を出しています。
その犠牲の上に得られたものがどういうものか、
スペインのデータから考えるに、
相当、厳しいものとなりそうです。
日本の厚生労働省も抗体検査キットの性能評価のために、
抗体検査を実施。東京で集めた500人分の献血でテスト、
結果は0.6%が抗体を持っていたという結果となりました。
無作為の検査ではなく、
そもそもが性能評価目的で行われていますので、
この数字を政策に反映させるべきではありませんが、
それにしても低いです。
さらに加えて、抗体があったとしても
免疫としてはどうなのか、
免疫として機能するとしても
どれぐらい有効な免疫なのかも不明です。
そういえば、有害番組「モーニングショー」で
岡田晴恵はこれまで
「隠れ感染者か大勢いるから大規模PCR検査を」と言っていましたが、
このテストについては、
「残りの99.4%の人で感染爆発する」と言い始めました。
この人の中では、感染者は多いのでしょうか? 少ないのでしょうか?
さて15日、感染者未確認の唯一の都道府県・岩手県の達増拓也知事が定例会見で
このように述べました。
確かに感染者が出ないことは好ましいことではあるのですけれども、『感染者は出ていい』ですし、特に自分がコロナウイルスに感染したかもしれないなと思ったら、これはすぐ電話で相談するというところから始めて、いち早く自分がコロナ感染者だということを、自分が陽性であるということをできるだけ早く確認して、必要な治療が受けられるようにしてください。ということを県民の皆さんには言いたいですね。そうやって、第1号になったとしても、県はその人のことを責めません。第1号の患者さんについては、特に丁寧に優しく対処して、命と健康を守るようにしたいと思いますし、県民の皆さんに対しても、第1号の陽性者、患者さんについてはお見舞いの言葉を送ったりとか、気持ちの中だけでもいいのですけれども、優しく接してあげてほしいと思います。最初の1人というのは、誰がそうなるか分からないですし、また誰もが2番目、3番目になる、そういう可能性もあるわけで、だからこそ県は、特別の病床や重症化したときの治療の体制、さらに病床が足りなくなったときの軽症者用の宿泊施設まで確保しようとしているのは、陽性の患者が出ることを当然として考えているから、そういう準備をしているわけですので、県民の皆さんにはそういう気持ちでいてほしいと思います。
https://www.pref.iwate.jp/governor/kaiken/1028667/1028674/1029868.html
この後に
繰り返しますけれども、感染すること、陽性になることは悪ではないということは心に刻んでおいてほしいと思います。
と続きます。
これはクルマの他県ナンバー差別に関して記者から問われての回答の言葉です。
重要な観点です。
他県ナンバー差別や自粛警察のような報道を見て、
何かに似ていると思っていまして、
魔女狩り…とも違う、どこかで見たような気がすると思っていましたら、
しっくりくるものがわかりました。
無癩県運動です。
ハンセン病はかつて癩(らい)病と呼ばれ、
癩菌によって引き起こされる感染症です。
1930年代から1960年代の長きに渡り、
各都道府県内のすべてのハンセン病患者を専門の療養所に強制収容させて
"一掃"しようという運動がありました。
これは行政が行いましたが、
周囲に隠れて暮らしているハンセン病患者がいれば、
一般市民は警察に通報していました。
国は自治体に競争させ、
一般市民はそれを良しとしていたんです。
戦前、戦後、現憲法の下でも続いていました。
おそらく、その頃のことを憶えておられる方もいらっしゃるかと思います。
昭和26年、山梨県でハンセン病患者の長男がいた家族が
村八分を恐れて家族一家9人の心中事件が起きています。
こんな一家心中が全国で起きていたようです。
ハンセン病治療に有効な治療薬が使われるようになっても
差別は続き、ハンセン病にかかったことがあっても入所の必要がない人、
患者家族なども地域から排斥されました。
その行動は、当時の人たちにとって正義だったのではないでしょうか。
今、新型コロナウイルスでは、
医療従事者などへの差別も問題になっています。
ゼロリスクを求めるあまりの行動なのでしょう。
39県が緊急事態宣言から解除され、
大阪府は大阪府で独自の判断で基準の緩和が行われました。
これから、宣言と解除を繰り返す可能性もあります。
国も大阪府も行動の基準が不明確で、
個人それぞれが判断することになる部分が大きいです。
すると「していいこと」「するべきではないこと」が人それぞれで異なり、
同調圧力が強い日本ですから、
不健全な摩擦や差別が起きる可能性もあります。
私たちは無癩県運動のような過ちを繰り返すべきではありません。
おそらく「それにしても目に余る」と思える活動や行動を目にすると思います。
そのとき、どうすべきかについての正解はありませんが、
非難する前に少しだけ、
落ち着いて考えてみるべきかと思います。