Quantcast
Channel: テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2031

ひこにゃんのひみつ! ~井伊氏の歴史 -直政と直孝-~

$
0
0

まずはお知らせから。
7日までブログに関われませんので、更新などが出来ません。
また懲りずにいらっしゃって下さればと思います。

さて、水曜の「今夜はヒストリー」では、
桜田門外の変が扱われていて、
ついでと言ってはなんですけれど、
井伊家の歴史が紹介されていたんですよね。
で、その説明の軸になっていたのが、この

ひこにゃん

ひこにゃんでした。


あらためて歴史に当たってみつつ、
記事にしてみようかと思います。

井伊氏で最初に世に知られたのは井伊直政でしょう。

井伊直政

数々の武名で知られる彼の最初の武功として知られるのが、
主・徳川家康の寝所に忍び込んでいた忍を討ち取ったことです。
この時、まだ元服前でした。
織田信長が討たれた本能寺の変の直後の伊賀越えでは、
本多忠勝らと家康を三河国まで帰還させることに成功しています。

井伊の赤鬼

との異名は小牧長久手の戦いから。
この時初めて、全ての武具を赤にした赤備えで先鋒を務め、
その奮戦による戦功からこの異名で知られるようになりました。

こんな感じでしょう。

井伊直政 赤備



井伊直政のフィギアが出ているんですねえ。

さて、ひこにゃん。

ひこにゃん

赤い兜です。
これは直政と彼以後、
井伊家代々の赤備えに因んだものらしいです。

井伊直政は関ヶ原の戦いでも先陣で奮戦、
それは軍令に背いたものでしたが、
家康はそれを咎めなかったようです。
しかし、彼は銃弾を受けてしまって落馬、
大怪我を負うこととなります。

その後、怪我をおしての戦後処理に奔走し、
政治の面でも活躍を見せていて、
それらの功もあり、
上野国高崎藩から近江国佐和山藩18万石の主となりますが、
無理がたたったのか、40歳で亡くなっていて、
銃弾が元の破傷風が原因だったとされています。


その後を継いだのが彼の次男の直孝です。
(この部分、正確さに少し疑問がありますので、
後日修正します。すいません。大筋では大丈夫だと思いますが)

井伊直孝

彼の代の時に、石田三成の旧領である佐和山藩を、
三成に祟られるとして、家康の命で佐和山藩を廃し彦根藩としています。
(彦根城築城、佐和山城を廃城)

直孝も父に劣らない武名を上げています。
大坂夏の陣での豊臣秀頼と淀を自害に追い込んだ功績は、

日本一の大手柄

と賞されることとなりました。

この井伊直孝にまつわる江戸でのお話です。
鷹狩りに出た直孝はその帰途、ある寺の門前で白いネコを見かけました。
なんと、そのネコが手招きをしています。
不思議に思った直孝はネコの後を追い、
寺の中に入ります。
彼が寺の中に入るやいなや、雷鳴が轟き、
激しい雨が降り出しました(そばの木に落雷したとも)。
雨宿りしつつ、住職と語らい親しくなり法話に感銘を受けます。
そして、直孝の寄進を受けて、その寺は改築、
井伊家の菩提寺ともなります。
寺では、ネコが寺の隆盛を招いたとしてその縁起から

招福観世音菩薩

を祀り、招福猫児(まねぎねこ)を置くようになりました。
これが招き猫の由来だという説があります。
そして、この寺が現代の世田谷区にある豪徳寺。
寺の名前は直孝の法名に因みます。

豪徳寺招猫殿

現代の寺の招猫殿の様子です。

ひこにゃん。
なぜ、彦根市のマスコットキャラクターが白ネコなのかは、
このような理由があるからなのでした。



ひこにゃん






ねてしてタペ


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2031

Trending Articles