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平清盛 第二十七話「宿命の対決」 その背景 ~運動会と紅白歌合戦~

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平清盛がカッコ良かったので、
一番好きな回となりました。
一騎打ちはまあ、あれなんですけれど。

次回は第二十八話「友の子、友の妻」。
これまで悪く描かれていた清盛を主役に据えた物語を描く場合、
平治の乱の戦後処理をどう扱うのかが、
最も大切であるように思います。
ここで清盛の人となりが決まってしまいますので、
私が描く立場なら、ここから決めていきたいですね。
藤本有紀さんはどのように描かれたのでしょうか?
楽しみにしたいですね。






終盤、源義朝の軍が逃げる平氏の軍を追いかけて
鴨川まで来てみれば前方に出現する平氏の兵たちに驚く場面。

NHK大河ドラマ 平清盛

色分けが綺麗でしたね。
源氏を白に、平氏を赤に調えていました。

源平両家の郎等、白旗、赤旗をさして、東西南北へはせちがふ

保元物語にはこのようにあり、
旗印の色により、軍が分けられていたようです。
そして源平が戦うようになり、
運動会や紅白歌合戦など、
対抗戦では「赤」「白」に分かれるものとなった…、
というのが有力な説であるようです。

でも、どうするんでしょうね?
私、この平治の乱は10月ぐらいに扱うものだと思っていました。
ここまでも表現が難しい題材でしたけれど、
エンターテインメントとしては、
さらに扱いづらくなるはずです。
お手並み拝見といったところでしょうか。


さて、

平治の乱に至るまで
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11297057686.html

源義朝挙兵~藤原信頼の専横
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11297057686.html

とお書きしてきましたけれど、
その後についてもお書きしておきます。

源義朝の長男・源義平が京への途上を待ち伏せるべしと献策していますが、
先にお書きしたように、
兵を割くほど、京にいる源氏の兵は多くありませんでした。
結局、戦になることもなく、
本拠地・六波羅泉殿へと戻ることが出来た清盛、
この清盛帰京の報にまず喜んだのは、
信頼の専横を嘆いていた貴族たちでした。
最初に行動を起こしたのは藤原(三条)公教で、
二条天皇親政派の藤原経宗、惟方に接近、
彼らは反信西として信頼と手を組んでいたものの、
元々信頼は後白河院政派の人間で、
信西を亡き者にした後、
全てが信頼の思うままになっている事が不満でした。

平清盛にとっては、
敵は藤原信頼であり、源義朝であるのは明白ながら、
二条天皇と後白河上皇の身は向こうに押さえられています。
ここで戦に及べば、大義名分なく、
賊軍として戦わねばなりません。

そこへ藤原惟方の使いとして藤原尹明が寄越されてきました。
彼が伝えてきたのが、二条天皇の六波羅行幸。
密かに天皇を連れ出して清盛の元へという訳ですが、
この時、清盛が授けたとされるのが、
女房の車を用意しておき、
夜になったら二条大宮で火災を起こし、
その隙に車で二条天皇を連れ出すというものでした。

NHK大河ドラマ 平清盛

富浦智嗣さんが二条天皇役だったのは、
このシーンに合わせてだったのかもしれませんね。
また尹明からの貴族たちからの提案として、
恭順の意を示すために名簿(みょうぶ)を提出してはと。
名簿は臣従の証として差し出す物。
本来は屈辱的な提案ではあるものの、
清盛はこれを妙策として採用し、
早速用意させた名簿を第一の家人・平家貞に持たせ、
信頼へと伝えさせます。

ご機嫌を違えぬようよしなにお取りはからいを

これを聞いた信頼は、
最大の武門である平氏を
臣下として従えることが出来たことを喜んだとされています。
そして、後白河上皇にも二条天皇脱出計画が伝えられると、
後白河もすぐに仁和寺へと脱出します。

ついに敵方は大義名分を失いました。
ただちに惟方の弟の成頼が

六波羅を皇居となされたり。朝敵ならじと思はん輩は、急ぎ馳せ参ぜられよ

と触れて廻ります。

しかし、まだ問題もありました。
藤原信頼は以前から後白河の寵愛を受けていたので、
その権勢は相当なものでしたから、
彼を味方とすべく、敵とならぬよう
各家は彼の家と婚姻関係を結んでいたんです。
平清盛も信頼の嫡子・信親を娘婿としています。
(信西の子には娘を嫁がせています)
また、摂関家の大殿・藤原忠通は、
息子で関白の基実に信頼の妹を妻とさせています。
こうして親戚関係が絡み合っていたんですが、
まずは清盛は信親を内裏まで送り届けさせ、
基実については、周囲が忠通・基実を冷視する中、
藤原公教が問います。

関白まいられたりと申。いかに候べきやらん

答えて清盛。

摂籙(せつろく)の臣の御事などは議に及ぶべくも候はず。参られざらんをぞわざとめさるべく候。参らせ給ひたらんは神妙の事にてこそ候へ

「関白のことは相談するにも及びません。
来ないのであればお呼びしなければなりませんが、
いらっしゃっているのですから、結構なことです」

平清盛の懐の深さを伺わせるエピソードです。



虻の目抜けたる如くにてありけり

天皇と上皇がいなくなっていることに、
藤原信頼が気付いたのは朝になってからだそうです。
源義朝と信頼は、眼がくりぬかれた虻のように、
行き先を見失い茫然自失の体であったとか。
この時、義朝が信頼を罵ったとされているのが、

NHK大河ドラマ 平清盛

日本第一の不覚人

です。


ついに二条天皇の名で信頼・義朝追討宣旨が出されました。
ここに平清盛の軍は大義名分を得て官軍に、
そして、信頼と義朝は賊軍となってしまいました。

義朝は清盛の軍が押し寄せてくる事に備え、
内裏の防御を固めます。
清盛は今や皇居となっている六波羅を守ります。
長男・重盛とその弟・頼盛が内裏へと進軍します。
内裏が戦場となる訳ですが、
この内裏は信西が2年前にやっと再建させたもので、
ここで再び失うわけにもいきませんでした。

重盛の軍は待賢門で信頼の軍を討ち破ります。
すると源氏の将たちが応戦してきました。
悪源太・源義平と重盛の一騎打ちになります。

NHK大河ドラマ 平清盛

大庭の中を両者は駆け巡りますが、
重盛は軍に退却を命じます。
それを追う義平。重盛は馬を射られますが、
馬を換えて退却を続けました。

頼盛は義朝が守る郁芳門を攻撃、
兜に熊手をかけられながらも奮戦し、
こちらでも軍を退かせました。
逃がしてはならじと追う義朝の軍。

両軍が内裏を出たところで、
門が閉じられます。
全ては内裏から源氏を引き剥がすための清盛の策略。
謀られたことを悟った義朝は、

いかさまにも六波羅にて屍をさらさん。一あてしてこそ

と清盛がいる六波羅への突撃を決めます。
しかし、それも計算済みの清盛は、
五条大橋の橋板を剥がし、
楯として並べ立てていました。

源義朝の軍が六波羅近くまで攻めてきたことを知ると、
濃紺の直垂、黒糸縅の鎧、
黒矢羽と黒漆の太刀の出で立ちの平清盛は立ち上がり、
黒毛馬にまたがると前線へと駆けつけたとされています。

NHK大河ドラマ 平清盛

激戦は六条河原。
ここで敗れた義朝は二十人ほどしかいない手勢を連れて、
近江国へと逃れていったそうです。

その後ろ姿を見て清盛は

大内裏に信頼が宿所に咋日かきてやりたる名簿を、そのまヽにて今日とりかへしつるとてこそわらひけれ

信頼に昨日書き送った名簿を、
そのまま今日取り返そうではないか、
と笑ったとか。







ねてしてタペ



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