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いじめ ~ つつきの順位 ~ 想像力

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大津市の男子中学生の自殺に関する民事訴訟、
第2回口頭弁論が開かれましたけれど、
被告で加害者とされる3少年全員は
いじめたことを否定したようですね。
同じく被告の教育委員会のメンバーである教育長の会見も見ましたけれど、
どうにも、他人事のように聞こえてしまいます。
少なくとも、被告なんですけどねえ。

野田総理にしても、ようやく出したメッセージが

いじめられている子にぜひ伝えたいことがあります。あなたは一人ではなく、あなたを守ろうとする人は必ずいる。誰でもいいから相談してほしい。(いじめは)とても恥ずかしい、卑劣な行為だ。そばにいる人が見て見ぬふりをしないことが一番大事だ。

これですから。
いじめられている人がどういう状況にあるのか、
どういう心理なのかを想像出来ていません。

といっても、私もここで一般論をお書きしてしまい、
申し訳ない訳なんですが…


生物学、動物行動学や個体群生態学などに出てくる言葉に、

つつきの順位

というものがあります。
100年ぐらい前にニワトリで発見されたもので、
集団のニワトリを観察していると、

つつくニワトリ

と、

つつかれるニワトリ

がいることがわかったんです。
そして、そこには序列があり、
上位の個体は下位の個体をつつき、
その下位の個体はさらに下位の個体をつつきます。
この一直線の順位が確定するまで、
最上位の個体は集団内の他の個体をつつきますし、
最下位の個体は全ての個体からつつかれることになります。

ニワトリというものはなかなか残酷なもので、
つつかれ続けているニワトリは死んでしまうことも。
そして、食事にも順位が適用されるらしく、
最下位のニワトリが餓死する可能性も。

動物は同じ種では殺し合わない、
そんなことをするのは人間だけだなんていうのは大きな間違いで、
こういう袋だたきのような行動は、
イルカやサルなどでも見られます。

サルといえば、"ボス猿"なんて言葉がありますけれど、
何やら偉そうでヤクザの親分のような印象ですが、
これは観察目的などで
餌付けされたサルの集団で出現するもののようです。
完全な自然界では、食事の優先権などは見られるものの、
もっとゆるやかな順位で、集団内には協調性もあるそうです。
餌付けすることで、集団の密度が増すためでしょうか。

少し前に

「死なないで、逃げて逃げて -鴻上尚史さん-」 ~いじめられてどうしようもないなら~
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11299505489.html

ここでご紹介したページに、
東京海洋大客員助教授・さかなクンのメッセージも載せられていて、
それは「広い海へ出てみよう」と題されたものでした。

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。


 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。


http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html

とお書きになっています。
このメジナの例が学問として
どういうことなのかはわかりませんけれど、
動物にはそういう習性を持っている種がいるのは間違いありません。


人間は社会性動物なので、集団で暮らす中で、
進化してきました。
順位付けをしたがる種でもあるでしょう。
そして、学校というある種過密な環境では、
(総合的に)力のある者が、
(総合的に)力のない者を攻撃するということが起こりがちなのでしょう。

生物学的に考えれば、

いじめは起こる

ものだといえるのかもしれません。
だから、

いじめは起こる

ものだと考え、
それを前提に目配りしておくことが重要なのでしょう。

大津市の問題の中学校は、

いじめ撲滅モデル校

なんですってね。
ということは、この学校では、

いじめはない

ことが前提になっていたのかもしれません。
そして、それが現実に起こったいじめを、

見つけてしまってはいけない

ということにもなった可能性はないでしょうか?
仮にオスプレイに欠陥があったとしても、
それを見つけてはいけない、というような事が。


基本的に私たちは動物ですから、
そういうことをしてしまう可能性があることは、
認識しておいた方がいいのかもしれませんね。

ただ、私は

いじめは仕方ない

と申し上げているわけではなくて、
人間には人間にしかない特性を生かすべきだとも思っています。

つついているニワトリの心の中がどういうものなのか、
人間に知る由もないのですが、
物事を想像するという能力においては、
人間以上の動物はいないはずです。

目の前に誰かがいて、涙を流していれば、
その人の身に何が起こったのかを考えることでしょう。

目の前に誰かがいて、もしも「そのひと言」を言ったなら、
その人がどう思うか、想像出来るはずです。

目の前に誰かがいて、もしもその人の胸を針で刺したなら、
その人の胸から血が流れることは、想像出来るはずです。

その想像が正しいかどうかは別にして、
言ってはいけないこと、
してはいけないことというものを、
実際に言わなくても、しなくても理解出来るのは、
人間にそういう想像力があるからこそです。

親や教師は想像してみることを教えるべきで、
そして、たとえば、同級生どうしで、
たとえば、親子のあいだで、親どうしの間で、
生徒と教諭で、親と教諭で、教諭と校長で、
それぞれ想像力を働かせるべきなんだと思います。

そして、その頭の中に浮かんだ可能性の中に、
相手が苦しんでいる姿があるのなら、
苦しめる当事者ならそれをもう一度考え直す必要があるのかもしれませんし、
当事者でないなら、
自分も苦しんでいる人のそばへ行き、
その人を助けてあげられるかもしれません。



自分の中に、そして誰もが、
その内面に残酷な部分を抱えていることは認識しておくべきでしょう。
そうでないと、暴行、傷害、
窃盗あるいは強盗、強要などなどの罪を犯していたとしても、

遊び

なんていう認識になってしまうかもしれません。
それを言われた人が、
それをさせられた人が
どのように感じているかを想像出来れば、
周囲の人もその苦しみを想像出来れば、
こんな事態に至ることは防げるように思うんです。

特に子供たちで解決出来ない状況にある時に、
それに大人が気付かないと、
気付けるようにしていかないと。

私はここで人間の想像力に期待していますけれど、
想像力に期待できないなら、
具体的な目安箱でもなんでもいいです。

ただし、具体的な告発により解決を図ろうとするのであれば、
絶対に、確実に解決して下さい。
中途半端では、何が起こるか想像出来ますので。




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