彼が自ら命を絶つ決意をしたのは、
どういう理由があったのでしょうか。
そこには、彼にとって"それ"を考えてしまう出来事、
事柄があったからなのでしょう。
大阪市教育委員会の調査によれば、
彼はバスケ部顧問教諭からの暴力を繰り返し受けていて、
亡くなった前日も、
練習試合で男子生徒がミスを繰り返したことなどについて
平手打ちしていたようです。
体罰の意義を肯定するつもりはありませんが、
これは体罰ではないのではないでしょうか?
体罰という言葉からは、
それは受ける側のことを考えて、
教育的意義を考えて行われるもののように感じます。
ところが、彼は暴力を繰り返し受けていました。
仮の話で考えてみましょう。
生徒が何かしらのよくないことをしたとします。
そこで教諭による体罰が行われ、
しかし、その後、前回と同じ事なのか、
違う事なのかで、またよくないことを
生徒がしたとします。
この状況で、教諭は何を考えるでしょうか?
先の体罰ではこの生徒に変化はなかった。
それなのに、また同じ手段で矯正を?
知恵がなさ過ぎませんか?
現実には繰り返しとなっていますので、
3回や4回では済まないのでしょうし。
その度ごとに、この教諭はその
生徒のためを思って
暴力を振るっていたとでも?
違うでしょう?
バスケット部の勝ち負け、成績、内容に対して、
この教諭が個人的に憤慨しただけ。
それが暴力となって、主将が襲われただけでしょう?
ただの暴力ではありませんか。
最後の暴力は、練習試合でのミスからだとされています。
それは殴られて当然の出来事なのでしょうか?
横で見て見ぬ振りをしていてた副顧問をはじめ、
そこに居合わせた人皆に聞こえるような平手打ちだったそうです。
しかし、周囲の証言とは異なり、顧問は市教委に対し、
自殺の前日に加えて、一、二度。手の指先だけで叩いた。生徒の気持ちを発奮させるためにやった
と答えています。
こうして保身を図る訳です。
まるでその暴力が生徒のためであるかのようにも。
そうであるなら、なぜ嘘をつく必要があるのでしょうか?
自信があったからこそ、
暴力を用いてでも指導していたのではないのですか?
そうであるなら、それを説明すべきであるはずです。
もしも、双方が社会人でどのような理由があるにせよ、
誰か誰かを殴ると、確実に暴行罪、傷害罪です。
それなのに、加害者が教師で、
被害者が生徒という組み合わせになると、
お咎めなしというのはおかしくありませんか?
しかも繰り返し繰り返し。
日本中でこのような暴力が振るわれているとすれば、
直ちに止めさせなくてはなりません。
今回の事件では、部活なんですよね。
たかが部活。
どんな強豪校だか知りませんが、
高校生の本分は勉学です。
体育科だそうですが、それでも部活は部活なんです。
しかし、おかしな事に、
この高校の体育科では生徒に運動部所属を義務づけているとか。
どういう権利でその規則を設けているのでしょうか?
こういう事も、他のスポーツ名門校とやらでもあるんでしょうね。
これが、彼の命を縮めた原因になった可能性はありませんか?
酷い顧問がいるバスケット部。
いつも自分を殴る顧問がいる部活なら、
辞めてしまうという考えもあるはずなんですが、
この学校の規則では、この選択肢は存在しなかったのでしょう?
もしも部活を辞めるという考えが彼の頭にあったなら、
彼は死なずに済んだのではないでしょうか?
お母さんによりますと、彼は自ら命を絶つ前日、
練習試合を終えて帰宅すると、
ただいま
と、いつもより明るい声で言ったそうです。
試合には負けた
ことと、
お弁当、美味しかったよ
と言い、
今日もかなり殴られた
と打ち明けたそうです。
いつもなら入浴する時間になり、
しかし彼は
勉強する
と机に向かい、午前1時頃、
床にうつ伏せになっているところを発見されました。
机にあったルーズリーフには、
他の生徒が同じミスをしても自分だけが叩かれること、
それが辛かったことが書かれてあったようです。
そして、
育ててくれてありがとう
と。
遺体の唇は切れ、頬は腫れていたそうです。
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大阪市立桜宮高校バスケ部主将の死 ~それは暴力・傷害であり、体罰でさえない~
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