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世界文化遺産 富士山 世界にその伝えられたその美しさ ~出島の三学者・葛飾北斎~

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世界文化遺産に登録されるであろうということで、
地元の悲願が成ったということで、
めでたいことであります。
ただ、それはそれで、ここに至るまで、
自然遺産を断念した経緯にもあるように、
ゴミ問題など、考えていかなくてはならない課題も多いと思います。
入山者にも今後何かしらの制限や、
出費が必要になるかもしれません。
頭の痛い話も出てきそうですね。


世界にも知られる霊峰富士。
もちろん、山なんですけれど、
世界から見ると、それは日本の象徴であるようです。



出島の三学者

と呼ばれる3人がいます。
徳川時代、鎖国の中、オランダのみ交易が許されていて、
オランダ人として、
オランダ商館医として出島に来ていましたが、
3人ともオランダ人ではなかったりします。
ただ、当時の日本人にはそんなことは知る由もありません。
彼らが著した記録、書物により日本は西洋に紹介され、
そして、当時の日本を今に伝える資料ともなっています。


エンゲルベルト・ケンペル

ドイツ人。
彼は1690年から1692年に日本に滞在していました。
江戸参府に参加し、その時に富士山を見ています。
医師ですが、博物学者でもあります。
道中、幕府の役人の監視の目を盗んでは、
いろいろと測量などをしていたみたいです。
その彼の富士山の描写です。

この山はテネリフェ島(カナリア諸島標高3716mのテイデ山がある)のように信じられないほどの高さがあり、周囲の山々は富士山に比べると、ただ低い丘のように見える。それゆえ富士山は旅行中、数里離れていてもわれわれの道標となり、特に私の地図を作るに当たって一つの基準として役立った。その姿は円錐形で左右の形が等しく、堂々としていて、草や木は全く生えていないが、世界中で一番美しい山というのは当然である


カール・ツンベルク

スウェーデン人。医師で植物学者。
1775~1776年に出島に滞在。
分類学の父として知られるリンネの弟子ですね。

この山はこの島第一の高山で、常時雪に蔽われている。眩しい程白いその頂は、雲を貫き、雲を透かして輝いている。麓は大きく、頂に至って、尖形をなしているので、方に塔糖(sugarloaf)或いは犀の角の形をしている。


フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

ドイツ人医師で博物学者。
1823~1829年出島滞在(1859~1862年にも日本滞在)。
日本でもよく知られた人物で、
彼の知識が日本の蘭学に大きな影響を与え、
また、シーボルト事件でも知られています。。

山の三分の一はまだ雪におおわれている。われわれはなお、かなり増水している富士川を独特の非常に高い舟縁のある舟で渡った。富士山がそびえ立っている富士川の左岸で私は六分儀で測定し高さ8度44分という結果をえた。ある時は雲におおわれ、またある時は雪で明るく輝く山頂は概して視界の雲より低く、西と南で富士山はかなり延び広がり、稲田の平野となって下り、街道が通じていた。

江戸滞在中に見た富士を回想してもいます。

われわれが江戸滞在中、たびたび見た富士は実に素晴らしかった。とくに視界が澄んでいる朝の涼しい時には、この天にそびえるピラミッドの山は間近にあるように見える。古い火山的性質やまだ雪におおわれた頂上の陥没した火口がはっきりと見える。円形隆起や尖った峯の形をした山腹の爆発の傷跡が澄み切った大気の中に鋭い輪郭を描いて目にはいってくるが、残念ながらほんの短い時間である。なぜならやがて昼の暖かみが増すにつれて、灰白色のヴェールが白髪の頭部をおおってしまうからで、白いちぢれ髪は次第に霧の中にかくれ、火山力のこうした巨大な作品をおおいかくしてしまう。


以上は「東京外国語大学論集」に掲載された
中山和芳先生「の開国以前、西洋人の見た富士山」からです。

東京外国語大学学術成果コレクション


で全文がPDFで公開されています。


彼らを含めて、外国人が富士山に登ることは出来ませんでした。
彼らは常に監視されていて、
旅籠の人間とも気軽に話せなかったとか。

外国人で初めて富士山に登ったとされるのが、
ラザフォード・オールコック。イギリス初代駐日総領事、公使です。
石と火山灰に難儀しながら、
巡礼者を見つつ、日本の信仰について考えています。
詳しくは彼の「大君の都」で読めるようですが、
絶版です。



日本人は富士山を美しいと感じ、
また、度々噴火してきたこともあり、
畏怖の対象でもありました。
二つとない不二、そして不尽、
すなわち、不死。
「竹取物語」はそんなお話でしたね。

海外に富士山が知られていることにおいて、
一番貢献したのは、

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

この絵なのかもしれません。

great wave

と呼ばれているこの絵は、
モナリザと並ぶ知名度だとか。
その他、富嶽三十六景、富岳百景で葛飾北斎が見せた富士山は、
シーボルトなどの手により、
世界中にその美を知られることとなったのかもしれません。



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