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歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」 その2

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http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11530675280.html

こちらからの続きです。


暗殺される直前、毎日のように幕府高官のところへ通っていた坂本龍馬。
そこは京都見廻組与頭・佐々木只三郎の住処で、
隊士たちも出入りしています。
龍馬自身、そこが危険であることに気付いていないはずはなく、
それでも彼はそこに出向いていたようです。
その目的は何でしょうか?

彼が通っていたのは、玄蕃頭・永井尚志の屋敷。
龍馬暗殺のひと月前、大政奉還が成立しました。
徳川幕府は天皇へ政権を返した訳ですが、
680年も政権から離れていた朝廷に、
執政能力があるはずはありません。
実際の政治は少数の雄藩により執り行われることとなりますが、
問題は徳川家の扱いです。
元武力倒幕派はもちろん、
徳川家が新政府に加わることを拒否しますが、
徳川家を組み込んだ新政府を考える者たちもいました。

坂本龍馬はどのように考えていたのでしょうか?

http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-10529667572.html

この記事の繰り返しになりますが…

新政府綱領八策

この新政府綱領八策。
坂本龍馬が船中八策に続き、
新しい国家の形を示したものです。

新政府綱領八策

○○○自ラ盟主ト為リ

ここに「慶喜候」の文字が入るのではないかと言われています。
大政奉還は武力倒幕派に倒幕の密勅(偽勅)が下りるのと、
ほんのわずかの差で大政奉還が先に成立しています。
龍馬たちが時間的なレースに勝てた訳ですが、
彼らがそれだけ急いだのは、
徳川を潰さないという方針だったからでしょう。

その後、龍馬は永井玄蕃頭の屋敷へと通うこととなるんですが、
それは徳川の今後についての交渉のためであり、
徳川のためにもなることなんですが、
徳川の役人である見廻組にとってみれば、
龍馬は依然としてお尋ね者で、
そのお尋ね者が本拠地のあたりを頻繁に歩いているとなれば…、
佐々木只三郎たちにとっては、
面白いはずはありません。

暗殺事件が起こる直前、
佐々木只三郎は見廻組の中から精鋭を選び出しています。
抜擢された桂早之助という男、
二条城での御前試合で20人抜きを達成、
褒賞白銀5枚を下された人物です。
400人からなる見廻組の中でも、
特に優れた剣技の持ち主です。
流派は西岡是心流。
それがどのような両派だったのかは不明ですが、
この西岡是心流の兵法目録には、
このようなことが書かれています。

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

右ハ小ジナイニテツカウナリ

右手で小竹刀を用いるとあります。
どうやら、二刀流らしく、
ただし、通常右手には長太刀を持つはずが、
この流派では小太刀をを持つという特殊な二刀流です。

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

長刀が振りかぶれないこのような部屋でも、
小太刀なら振るえるはずで、
佐々木只三郎は、対象が隠れ家にいる可能性を考え、
狭い空間での戦闘を想定して、
人選していたのでしょうか?

桂早之助の家は代々二条城の門番役の同心でした。
役人の中でも底辺の役柄で、
この時代、剣の腕だけで、
このような大抜擢を受けることは稀で、
極めて名誉なことだったでしょう。
しかし、彼はそれまで実際に人を斬った経験はないのでした。

今度こそ坂本龍馬を捕らえる

寺田屋で取り逃がし、
再び同じようなことになれば、
徳川の権威は地に落ちる。
佐々木はそう考えていたのでしょうか。

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

1994年、京都東山の霊山歴史館に収蔵されている小太刀です。
坂本龍馬を斬った刀として、
桂早之助の子孫から寄贈されたものです。

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

ただ、錆びているだけではなく、
刃こぼれが見てとれます。



1867年11月15日の夜、今井信郎の供述によれば、
この時坂本龍馬の捕縛に参加したのは7人とされています。
事前の偵察から、土佐藩邸の向かいの近江屋に、
龍馬が潜伏していることはわかっていました。
桂早之助が張り込みをし、
龍馬が在宅かどうかを確認、
この間、3人の来客を見ています。
龍馬が1人になる時を待ちます。

そのうち2人が近江屋から出てきました。
残る客は1人。

この時の近江屋の内部では、

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

2階奥に龍馬と中岡慎太郎が、
その真下の階下には主夫婦が寝ています。
そして、土間には元力士で龍馬の護衛人・山田藤吉がいました。
佐々木只三郎らは客を装い、
近江屋の戸を叩きます。

藤吉が応対します。
既に商いは終わっていると告げますが、
佐々木らは偽名の手札(名刺)を見せ、
それが龍馬と付き合いのある人物(十津川郷土)の名前だったからか、
藤吉は2階の龍馬へ来客を伝えに行きました。
戸口に誰もいなくなった近江屋に、
佐々木をはじめ、潜んでいた隊士たちが侵入します。
彼らは広い近江屋のどこにいるかわからない龍馬の居所を探ります。
そのうちの一部は主夫婦を騒がないように取り鎮め、
一部は密かに藤吉の後をついて2階へと上がっていました。

歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る」

彼らの目的は龍馬の捕縛でした。
2階に上がった彼らはまずは身を隠し、
藤吉をやり過ごすつもりだったようです。
ところが、隊士の一人が藤吉を見るなり、
彼を切り倒してしまいました。
鉢合わせしたためでしょうか。
この時の叫び声に龍馬は

ほたえなや

と、藤吉の悪ふざけだと思い、
騒ぐなと注意しています。

見廻組の隊士のうち一人かあるいは少数が、
客として坂本龍馬、中岡慎太郎の部屋へと入ります。
その中に、桂早之助がいたのでしょうか。

部屋に入るなり襖の前で早之助は正座、
長太刀を脇に置いて敵ではないことを示し、
そして、膝でにじり寄ります。

この男はあの従者が斬られた時の声を聞いているはず。
物音も聞いているはず。
自分を見ている。
怪しんでいるのか。
奴は私の顔を知らない。
今度、取り逃がしたら…、
私のお役目は…

極度の緊張状態の中、
桂早之助の右手は小太刀を横一閃、
振り抜いた刃先は龍馬の頭部を捉え、
血飛沫の一部は掛軸にまで飛びました。
さらに、肩から背へ、二度、三度、
三度目の斬撃は龍馬が刀で防御しましたが、
小太刀は鞘ごと、中の刀身を削り取ってしまいました。

他の隊士がなだれ込んできて、
倒れている坂本龍馬と中岡慎太郎を刺します。
佐々木只三郎がもう充分だと制止したところで、
近江屋を後にします。
彼らは、間もなく土佐藩邸から
人が来ることを恐れていたからです。

松林寺に戻った隊士精鋭一同は祝杯をあげます。
桂早之助は完全な下戸でしたが、
この時ばかりは酔いつぶれるほど飲んだと、
桂家には伝わっているそうです。

桂氏におくる哥
影やとき 月やは遅き 山の端を
  いずれはうつる 谷川の水


この時、佐々木只三郎は桂早之助に、
こんな謎めいた歌を贈っています。
影は速く動き、月は遅く遅く動く、
しかし、いずれは谷川の水に月は映ることになる。



とは何を指すのか?
それは坂本龍馬たちを討ったことなのでしょうか?
そして後の世で、それは評価されるだろうと。

龍馬がいなくなった京では、
急速に徳川を武力討伐すべしという意見が強くなっていきます。
そして、鳥羽伏見の戦い、
長い戊辰戦争の始まりです。
その戦の中で、佐々木只三郎も桂早之助も、
命を落としています。


京都見廻組が坂本龍馬を討ったとすれば、
それは徳川にとって、
どんな意味があったのでしょうか?
もしも、龍馬が徳川家を
新政府の中に組み入れることを考えていたのなら、
それは徳川の命脈を絶つ行為だったのかもしれません。

左から山田藤吉、坂本龍馬、中岡慎太郎墓標 霊山護国神社









以上、諸説ある坂本龍馬死の謎中から、
最も有力な京都見廻組説を見てきました。




ねてしてタペ



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