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こちらからの続きです。
たかじん胸いっぱい 他府県民から見たフシギの国・OSAKA! -その2- カレー大好き大阪人
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ここでもお書きしたように、
関西ではカレーには生卵。
明治の末、庶民にとって外食はたまの贅沢でした。
当時から人気だったカレー、
東京では平皿にご飯、
ソースボートにルーと別々の器で提供されていました。
しかし、関西では既にカレーがかかった状態で
カレーライスが出されていて、
そして、天ぷら同様、
何でもソースをかけるのがハイカラでした。
カレーライスにもソースをかけて、
全体を混ぜ合わせて食べていました。
たまの贅沢ということで、
もう一つ奮発して「生卵」を注文、
当時はうどん1杯よりも高価な1個の生卵がカレーとともに、
食べられています。
もちろん、既にソース、ルー、ご飯を混ぜていますので、
生卵を落として混ぜることに迷うはずはありません。
それを関西に広めたのは、
上の記事でもご紹介した自由軒で、
生卵は別に注文しなくてもよく、
また、カレーとご飯も既に混ぜ合わされた状態で提供されています。
あめちゃん、食べる?-
特に大阪人なら、おばちゃんに飴を差し出され、
こう言われたことがあるのではないでしょうか。
「おいもさん」「おまめさん」「お稲荷さん」など、
関西人は食べ物を擬人化して呼ぶこともありますが、
あめちゃん
と"ちゃん"付けで呼ぶほど、
愛着を示しているのは飴ぐらいです。
720年編纂の日本書紀には既に飴は登場していて、
ただし、それは水飴のようなもので、
薬のような意味がありました。
その後、戦国時代にもなると、
大坂で飴作りが盛んになります。
天下の台所の大坂には、
米、麦などが集まり、
さらに南蛮貿易が盛んになると、
砂糖が入り、ますます発展していきます。
徳川の時代になってようやく飴は固形の形に、
ただ、まだ飴をただで配ろうなどという風習は見られません。
江戸時代末期、大坂千日前には、
路上で飴を売る「飴勝」なる男がいました。
たしかに飴は売れていたんですが、
彼が評判になったのは飴ではなく、
その売り声のほうでした。
その事から寄席の宣伝活動の仕事を始めこちらが本業に。
これが後に
ちんどん屋
という職業になっていきます。
広告のために飴を配っていた飴勝に倣い、
ちんどん屋は飴を無料で配っていました。
このことから、
飴は無料サービスで配るもの
というイメージが定着し、
それは相手への手軽なサービスとして認識されるようになりました。
大阪と飴の歴史を物語るものとして、
現在の大阪には、多数の飴メーカーが存在しています。
その数、20社。
飴はただの無料サービスというだけでなく、
会話のきっかけとして、
現在でも愛されています。
このパンを何と呼んでいますか?
たむらけんじさんは
なぜそんなわかりきった質問をするのかわからないようで、
メロンパン…?
と回答、しかしチュートリアルのお二人は
サンライズ!
と、声を揃えられました。
一つのパンでも呼び名が違う、
それも大阪人と京都人で違うのはなぜでしょうか?
全国的にはこのようになっていて、
多くの地域でメロンパンと呼ばれているようですが、
兵庫や京都、広島、愛媛では
サンライズと呼ぶことが多いようです。
このパンが生まれたとされるのが、
神戸市にある大正12年創業の金生堂。
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昭和初期、金生堂の広島・呉支店で、
店長は日々新しいパンを生み出そうとしていました。
試行錯誤の中から、パンにビスケット生地をかけて焼くと、
それまでにない美味しさになることに気付きました。
これを商品化しようと考えるものの、
見た目に華がありません。
そこで生地にグラニュー糖をふりかけ、
竹串で放射線状の溝を設ける工夫をして、
ついに商品化となりますが、
名前がまだありません。
その話し合いの中、
これと似た柄をそこの海軍基地で見たことがありますよ
という店員が。
それは軍艦旗。
古くから海軍では旭日旗を軍艦旗としていて、
海軍基地のあった呉では身近な旗でした。
しかし、軍艦旗に似ているとはいうものの、
それをパンの名前にするというのもヘンなので、
この旗の図案、つまり日の出、その英語、
サンライズ
と名付けられました。
こうしてサンライズは誕生しました。
このサンライズはヒットし、
やがてより加工が簡単な格子柄の線に変化します。
金生堂のあった神戸などを中心に、
丸い形のビスケット生地をかぶせたパンのことを、
サンライズと呼んでいるのはそのためです。
しかし、現在の金生堂のサンライズの隣に並べられているのは、
メロンパン
です。
丸形ではありません。
そして、中には白餡が入っています。
この白餡入りの楕円形メロンパンを知っている人の割合は、
京都、滋賀など西日本に偏っています。
実は、この丸くないメロンパンも広島生まれ。
サンライズが誕生して数年後、
広島県の田中屋というパン屋さんでも
ビスケット生地をかけたパンが考案されました。
ただ、店主・中塩春馬はオムライスの型を流用しています。
そして、上に砂糖をかけるのではなく、
中にクリームを入れていました。
そして、命名。
高級なイメージのパンにしたいと考えた中塩は、
高級な果物、メロンから名前を取り、
メロンパン
とします。
ここでいうメロンとは、
このマクワウリ。
これが元祖メロンパンだったのです。
この形のメロンパンを広めたのは
生協、コープ神戸でした。
昭和27年、中身が白餡のこの形のメロンパンを販売すると、
大ヒットとなり、
現在も165店舗、1日1万個以上を売り上げています。
そして、その横にはあのサンライズが。
しかし、全国的に丸い形のものがメロンパンと呼ばれています。
それは昭和30年代、
海外からやってきた
このマスクメロンが関係しています。
その味と高級感が評判となり、
その網目模様がサンライズにリンク、
多くのパン屋さんがサンライズを
メロンパンとして売るようになりました。
そして、メロンパンと呼ばれる理由の決定的事件が。
アニメ「アンパンマン」が大好きなファンから、
アンパンマンにメロンパンを登場させて
という要望が寄せられ、
やなせたかしさんは初めて"メロンパン"を口にします。
その時に彼が手に取ったのが、
かつてサンライズと呼ばれた
この丸いメロンパンでした。
こうして、平成4年にメロンパンナちゃんが誕生、
メロンパンは丸いというイメージは不動のものに。
ただ、ラグビーボール型のメロンパンが普及していた
兵庫、京都でそれはサンライズと呼ばれ続けています。