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パンプキン爆弾 -模擬原爆-

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3日前にお書きしたように、
私は現在の米国と米国民に対して、
先の大戦に関して何かを思うものではありません。
ただ、戦後以後に生まれた私たちにとって、
知っておかねばならない事柄がたくさんあると思っています。
今夜はそんなお話を。


1945年8月6日広島、
同9日長崎にそれぞれ原子爆弾が投下されました。

当時は目視による爆弾の投下であり、
また、従来の爆弾とは性質の違う人類初の核爆弾を使用するために、

予行演習

が行われていました。
その時に投下されたものとして知られているのが



パンプキン爆弾

です。



こちらは長崎に投下された「Fat man」(のハリボテ)。
ほぼ同じ形状をしています。
違うのは中身で、パンプキンのほうは
中に2.5tのTNT火薬が詰められています。

原爆を投下するにおいて、
その精度、そして投下する機体と乗員が
その爆発、衝撃波を被らないための飛行技術の訓練が必要でした。
米軍はそのために同じ形状、重量の爆弾を製造、
これを投下することで、
その慣性、軌道などのデータを取っていきます。
もちろん、これは2.5tものTNTなので、
投下された日本の都市では大きな被害、
大勢の犠牲者が出ました。
投下先は東京、富山、長岡、敦賀、
福島、島田、焼津、浜松、名古屋、春日井、豊田、
大垣、四日市、大阪、和歌山、宇部、新居浜など30都市49発。
もちろん、この中には広島市と長崎市は含まれていません。
この両都市には大空襲レベルの空襲はありません。
それは初めて使用する核兵器のデータを取るためでした。
(9日以後に落とされたパンプキンもあります)

原爆の実物を投下するB-29乗員も、
ただ投下しただけでは爆発に巻き込まれてしまいます。
そのために旋回しつつ投下することになりますが、
それに適した角度で旋回出来るようになるためにも、
これだけの数の模擬原爆が必要だったのでしょう。


しかし、私は思うんですが、
現実には原爆を投下するB-29乗員には
安全である保障は何もなかったはずで、
訳のわからない新型爆弾を投下させられて、
爆風、熱線、放射線の被害を被らないとは限りません。
当時の米軍は、その乗員たちに、
どのように説明していたのでしょうか?
私には全ての乗員が全ての危険性を理解した上で、
広島上空、長崎上空に来ていたとは思えないんです。

自軍の兵を未知の危険に晒してまで、
核爆弾を大勢の人間が住んでいる大都市に落としたかったのか、
その意欲と決断に恐怖を感じます。







ねてしてタペ


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