http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11780148902.html
こちらからの続きです。
源義経にもこの種の話はありますよね。
1189年平泉にて、兄・頼朝の力に敗れて
非業の死を遂げます。
しかし、実は彼は生き延びていて、
蝦夷地に渡り、さらには大陸へと。
そして、チンギス・カンとしてモンゴル帝国を築いた、
という伝説があります。
このいかにもありそうにない話は、
学問としても否定されているので、
全く違うのでしょうけれど、
北海道には数々の義経伝説が伝わっているそうです。
彼は難を逃れ、蝦夷地へ、そしてアイヌの王となり、
やがて、アイヌの神、アイヌラックル(オキクルミ)と呼ばれるように。
もしかすると、彼は平泉で死んだ訳ではないのかもしれません。
ウィリアム・シェイクスピア。
イギリス・ルネサンス演劇を代表する劇作家です。
彼の戯曲が、現代までに数え切れないほど演じられてきていることが、
彼の偉大さを表しています。
1564年、ストラトフォードの村に生まれたシェイクスピアは、
7人キョウダイで、父は村の商人。
彼は28歳の時、ロンドンに出て、
俳優や劇作家として活動を始めました。
この世に多くの作品を遺し、
52歳でこの世を去りました。
そんな彼に根強く主張され続けているのが、
シェイクスピア別人説
です。
これを支持していたのが、
作家のマーク・トウェイン、映画監督のオーソン・ウェルズ、
俳優のチャーリー・チャップリン、
精神科医のジークムント・フロイトなどなど。
彼らが唱える別人説の根拠は概ねこの3点。
家柄・学歴
田舎育ちで高等教育を受けていない彼が
なぜ、法律や外国語、科学の知識が必要な描写が出来たのか、
そして、活気に満ちた貴族の様子も詳細に描かれていて、
また、国外が舞台の物語もあります。
自筆のサイン
現代にも彼のサインは伝わっていますが、
どれも綴りが異なります。
これは、自分の名前さえ満足に書けなかった可能性を示しています。
遺言状
シェイクスピアは生前に遺言状を遺していますが、
その内容はこのようなものです。
・娘に100ポンド
・妹に30ポンド
・妻には2番目に上等なベッド
と財産分与の内容が書かれています。
事務的な事柄のみで、
そこに文才を認めることは出来ず、
さらには原稿、戯曲、出版物について一切触れられていません。
以上のようなことなどから、
誰か別人が彼の名前で、
多くの作品を書いたのではないか
という可能性が考えられてきました。
華やかな宮廷、貴族の様子を知り、
法律の知識、海外事情の知識など、
これらを持ち合わせている、
真の作者は誰なのでしょうか?
第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア。
エリザベス1世時代の貴族で、
イングランドで二番目に古い伯爵を継承していた
由緒ある家柄の彼。
ケンブリッジ大学で法律や外国語を学び、
宮廷詩人としても知られていました。
1年余りの間、ヨーロッパを旅行していて、
イタリアにも滞在しています。
また、彼は槍の名手であったとされ、
「槍をふるう人」
SPEAR SHAKER
とも呼ばれていました。
紋章も槍を振るっている獅子の図柄。
この2語を入れ替えて
SHAKESPEARE
にしたのではないでしょうか?
オックスフォード伯のプライベートと、
シェイクスピア作品の内容も重なります。
ヨーロッパを旅行中に、彼の妻が身籠もりますが、
伯爵は妻の不貞を疑っています。
これは「オセロー」なのではないでしょうか?
イタリア滞在時には借金せざるをえなくなっている彼ですが、
それを「ヴェニスの商人」に描いたのでしょうか?
その他、「ハムレット」の登場人物の描写は、
彼に関わりのある人物に酷似しているとされます。
では、なぜ彼は自らの名前を用いなかったのでしょうか?
彼は、自身の作品の描写が
リアル過ぎると考えたのではないでしょうか。
関係者から弾圧されることを恐れ、
大酒飲みで売れない役者の"シェイクスピア"に、
彼の名前で戯曲を発表することを依頼、
瞬く間に"シェイクスピア"は有名になっていったのでした。
これは仮説に過ぎません。
直接的な証拠はないのでしょう。
しかし、当時の文芸批評誌「英詩の技法」には、
このようなことが書かれているそうです。
立派な文章を書いておきながら、
発表をやめてしまったり、
あるいは名を明かさずに出版を余儀なくされている詩人が
エリザベス女王の宮廷に多数いるこことを知っている。
その中でも、最初に名を挙げるべきは
オックスフォード伯爵エドワードである。
最後にシェイクスピアの墓に刻まれている言葉を。
この墓をそのままにしておく者に幸福あれ
我が骨を動かす者に呪いあれ-
筒井康隆先生は、"シェイクスピア"は
一人ではなかったのではないかお考えのようです。
短編の喜劇を含めれば、
100篇もの作品を遺していますが、
貴族の片手間の仕事ではないという推察です。
たしかに、そういう説も存在していて、
何しろ、死後100年後ぐらいから別人説が出てきていて、
以後、オックスフォード伯以外にも
たくさんの"真のシェイクスピア候補"が挙げられてきました。
一つのペンネームを多数の人物が用いたという説も存在してます。
そういえば、「水戸黄門」「大岡越前」などの
いわゆる「ナショナル枠」の脚本家・葉村彰子のことを思い出します。
葉村彰子なんていう脚本家は存在していなくて、
プロデューサーの逸見稔氏による創作集団が用いていたのが
この「葉村彰子」でしたよね。
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